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「分からないままでいる」という愛ーミニ読書感想『歌われなかった海賊へ』(逢坂冬馬さん)

逢坂冬馬さんの第二作長編『歌われなかった海賊へ』(早川書房、2023年10月18日初版発行)がこれまた傑作でした。第一長編『同志少女よ、敵を撃て』に比肩します。敗戦間際の1944年、ナチス統治下のドイツ。危ういながらもなお圧倒的な支配者に抗った少年少女グループ「エーデルヴァイス海賊団」が主人公です。それは、単色に塗りつぶされることに抗った若き命の輝きの物語です。


エーデルヴァイス海賊団というのは(ネット検索の限りですが)実在したようです。『同志少女よ、敵を撃て』も史実に基づいた物語だったので、歴史を下敷きに壮大でエンターテイメント性あふれる物語を駆動させるのは「逢坂節」と言えそうです。

物語は、作中作の形をとる。書き出しは戦後。ドイツのある街で、その街の歴史をレポートにまとめる課題を出す教師。その課題に不完全な紙一枚を出した移民の少年を追いかけていくと、偏屈で有名なある男に行き着く。しかしひょんなことから、その男がしたためたらしき小説を預かることに。それが、戦時中のエーデルヴァイス海賊団をめぐる物語でした。

その作中作は、少年が男を殺そうとする場面から始まる。男は、少年の父を密告して、ナチスに処刑させた男です。しかし、少女がそれを邪魔する。少年は当然、怒ります。「俺の気持ちが分かるのか」と。殺したいほどの激情。少女は飄々として、あっさりと、「分からない」と返しました。

肩透かしをくらう少年。そして、少女に招き入れられたのが、エーデルヴァイス海賊団。この出会いが、この街の歴史にただならぬ一撃を加えていく。

この場面を、少年は後に思い起こします。

ヴェルナーは、父を密告したカール・ホフマンを殺そうとしていた。エルフリーデは、その理由を分からないと言った。ヴェルナーがエルフリーデに好感を持ったのは、エルフリーデが自分を分かってくれたからではない。分からないままにしておいてくれたからだ。

『歌われなかった海賊へ』p161

好感を持ったのは、分かってくれたからではない。分からないままにしておいてくれたからだ。この言葉が、印象に残りました。

分からないままでいる。実はそれは、勇気のいることです。

特にナチス政権下ではそうでした。ユダヤ人排斥、周辺国への侵掠。それが第一次大戦敗戦国ドイツを救う手立てだと強力に信じ込まされていた。この道理が「納得できない」ということは、困難だった。そんな時代です。

少年少女の海賊団は、これに「いや、おかしいだろ」と正面から異議を唱える存在でした。ゆえに海賊なのです。別のシーンで、メンバー少女によるこんなセリフがあります。

「私たちは、ドイツを単色のペンキで塗りつぶそうとする連中にそれをさせない。黒も、赤も、紫も黄色も、もちろんピンクの色もぶちまける。私たちは、単色を成立させない、色とりどりの汚れだよ。(中略)」

『歌われなかった海賊へ』p149

この、黒、赤、紫、黄色、ピンクはそれぞれナチスが強制収容所に連行したマイノリティにつけた印に付合します。黒は犯罪、赤は共産主義、紫は宗教的異端、黄色はユダヤ人、ピンクは性的マイノリティに貼り付けたレッテルでした。

それらの色を排除し、単色になろうとしたドイツに対抗した。それは、安易に分かること、そして分からないものを排除してしまう姿勢への対抗です。

著者は、なぜ今の時代にこのことを描いたのでしょうか?それを考えることが、本書の醍醐味だと思うのです。

共感が重視される時代。インプレッション至上主義。そんな中で、分からないということ、分からないままでいる愛が、たしかにある。そう教えてもらいました。

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