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「損なわれること」の見えにくさー読書感想「デフ・ヴォイス」(丸山正樹さん)

差別される人の気持ちを「分かる」ことは、どうしてこうも難しいのか?丸山正樹さんの小説「デフ・ヴォイス」はこの問いを考えるための手掛かりになってくれた。テーマは聴覚障害者の世界。さらに「耳が聴こえない家族に育つ、耳の聴こえる主人公」という、極めて珍しい設定が目を引く。しかし、連れ出されるストーリーは骨太で、決して気をてらったものではない。そして始終あたまを巡るのは、普遍的な差別の問題。「損なわれること」は当事者以外から見えにくい。答えを授けるのではなく、一緒に考えてくれる物語でした。(文春文庫、2015年8月10日初版)


摩擦と役割固定

主人公・荒井尚人は、とある事件をきっかけに警察職員の職を離れた中年男性。再就職に難航していたところ、生来の特技である手話を使う通訳士の仕事を得る。すると、犯罪嫌疑がかけられた聴覚障害者の法廷通訳を依頼され、再び過去の因縁に絡め取られていくというストーリーだ。

荒井のように「家族は聴こえないが、自分は聴こえる」という立場で育った人は「コーダ(Children of Deaf Adults)」と呼ばれる。驚かされたのは、コーダは聴こえる人からすれば「健常者」でも、家庭においては「少数者」におかれ、非常に複雑な心情を抱えることになるということだった。健常と障害がある種逆転するような環境が存在するんだ、と目を見開いた。

たとえば、やはりろう者(耳が聴こえない)の兄一家とファミリーレストランで食事をするシーンが印象深い。手話で話し合う荒井たちの前に店員が所在なげに立つ。何かと聞けば「サラダのドレッシングをどうするか」と言うので、荒井が通訳して兄たちに伝える。何気ないのだけれど、実は荒井は葛藤している。

 そんな彼らを見ていて、再びあの感情が蘇る。
 兄たち家族とて、この手のレストランに来るのが初めてということはないだろう。その際にも、今のように意思の疎通に不自由を感じる場面はあっただろうが、自分たちだけで何とか切り抜けたはずだ。
 だが、自分がいるとーー「聴こえるろう者」である荒井がいると、何のためらいもなく彼らは自分に頼る。通訳をさせ、交渉事を任す。(p97)

コーダは「聴こえる」と「聴こえない」の境界に立つ。だからこそ、「聴こえる」世界からの要請を受けた時に「聴こえない」世界は、コーダに交渉役を任せやすい。いつも任せてしまう。

聴覚障害者が弱いとか、迷惑をかけているという意味では断じてない。「障害」の意味するものの奥深さがここに表れていると思うのだ。

聴こえる世界と聴こえない世界が出会う時、そこには「摩擦」が起こる。ファミレスで戸惑っているのは兄たちだけでなく、店員もそうだったことに留意したい。そしてその摩擦を解消しようとしたとき、境界に立つ人が緩衝材にされる。言い方を変えれば、緩衝材があれば「いつも」利用される。この役割固定こそが、荒井の感じる苦しみの正体なんじゃないかと思う。

同時にこのことは多数者と少数者の構造的暴力の本質も示している。もしも荒井がいなければ、どちらが負担を受けるだろう?おそらく兄たちが苦労して、店員の言いたいことを「汲み取ろう」とするはずだ。緩衝材がなければ、摩擦は弱い側を削る。ここにもまた役割固定が見出せる。


「損なわれる」という孤独

摩擦を受け、削れていく。やがて心に芽生えるのが「損なわれる」感覚だ。

ろう者として弁護士になった片貝という人物がいる。荒井と犯罪嫌疑を受けたろう者のサポートに回り、ある日、荒井と酒を飲み交わす。そして過去を回想する。

片貝の親は「聴こえる・話せる」ようにしようとした。しかし、なかなかうまくいかない。だから片貝は勉強では聴こえる人に負けないぞと奮起した。その努力が弁護士という仕事にまで繋がったのだ。しかし、と片貝は手話で言う。

 〈私には分かった〉〈両親にとって一番嬉しいのは〉〈私が成績優秀になることではなく〉〈「普通の子」になること〉〈「聴こえる子」になってくれることだった〉
 〈両親がありのままの私を受け入れてくれることは〉〈ついにありませんでした〉〈両親が手話を覚えることも〉〈なかった〉
 〈私たちは〉〈結局一度も〉〈まともに会話したことさえなかったんです〉
 〈私は常に〉〈「損なわれた子」だったんです〉(p108)

こんなにもせつないことがあるだろうか。

親は「聴こえない」片貝の努力を評価しなかった。いつまでも「聴こえる子ではない」という評価が固定されたままだった。「聴こえる」を軸にする限り、片貝はいつまでも「損なわれた」ままだった。

親が片貝の「損なわれた」感覚を見抜けていなかったことがポイントだ。もしかしたら頭で分かっていても心が追いつかなかったのかもしれない。

これは性別にしても人種にしても普遍的な差別の痛みなんだろう。なにかを「普通」と設定する限り、相手は「普通でない」人だ。そして「普通でない」と思うことは意識されにくく、普通でないと「思われること」は本人以外に気付かれにくい。喉に刺さった骨のようにいつもいつも、心を傷付けるんだろう。

差別をなくしていくとは、まずは「損なわれた」と苦しみ人がいることを見なければならない。分からなければならない。でもこの最初のステップがきっと難しい。難しいからこそ、片貝や荒井は損なわれ続けているんだから。

わたしは聴こえる世界にいる。そしていま損なわれることに思いを馳せている。読後にこうした思索を続けられているのは、そもそも本書が通読してしまうほど「面白かった」からだときちんと書き残しておきたい。

本書は「普通」に縛られるわたしが投げ出したくなるような、説教的な面は一切ない。ただただミステリーとして引き込まれ、結果、心に問いが芽生えて離れないのだ。それが小説家としての丸山さんのパワーなんだろうし、「デフ・ヴォイス」の作品としての輝きなんだと思う。

次におすすめする本は

J・D・ヴァンスさん「ヒルビリー・エレジー」(光文社)です。ラストベルトで育った白人である著者が、「自分たち」の抱える苦しみを理路整然と語っているノンフィクションです。貧困というものが、固定的な被差別状態を作り出していること、それによってどんな格差が生じているか。「デフ・ヴォイス」で得た問題意識を多面的にできる内容じゃないかと思います。


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