見出し画像

分水嶺を掘り起こすー読書感想#35「2050年のメディア」

下山進さん「2050年のメディア」は凄まじい労作であり、初めて目の当たりにするスペクタルでした。2000年代前半から起こり始めた新聞メディアの「デジタルシフト」の歴史を描く。襲いかかるネットの側は「ヤフー」、守勢から時に攻勢に転じる新聞側は「読売新聞」を軸に、それぞれの現場にいた人物の豊富な証言を記録していく。だから生々しい。ほとんど大河ドラマのような迫真さがあり、400ページ超の本編で飽きることが一切ない。本書が掘り起こしたのは、いくつもの「分水嶺」だ。なぜ新聞は苦しい状況にあるのか。かといってヤフーも安泰なのか。見えにくかった歴史的分岐点が次々明かされる。


「イノベーションのジレンマ」の吸引力

日本の新聞の中でいち早くデジタルシフトに乗り出したのは日経新聞だった。それは成功したと言ってよく、2010年の創刊から19年には72万の有料購読者を獲得し、なんと紙の部数の売り上げ減を相殺、2009年以降に売り上げを維持している唯一の新聞社だそうだ(p210-211)。

紙の部数は国内で圧倒的強者の読売は、なぜ日経のようになれなかったのか。下山さんはここに、「イノベーションのジレンマ」を見る。

 読売新聞で起こっていることは、まさにこの「イノベーションのジレンマ」だった。
 専売店の全国ネットワークというイノベーションは、紙の新聞の市場が拡大していっている時にはよかった。が、その紙がスマートフォンという移動できるインターネットによって置き換わろうとしている時に、この「イノベーション」が逆にデジタルの市場に出て行くことの足かせとなったのである。(p177)

イノベーションのジレンマは、クレイトン・クリステンセンさんが提唱した概念で、上記の通り「イノベーションで市場を制覇した企業が、そのイノベーションが足かせとなって新市場に踏み出せない」ことを指す。

読売が日経電子版に遅れを取ったのは、読売が紙の販売で圧倒的覇者だったから。勝っているから勝負できない。勝っているから負けていく。理不尽すぎる展開が、経済現象の典型であることを下山さんは喝破する。

ただ、本書が面白いのはここで止まらないから。なんと、イノベーションのジレンマがヤフーにも起きたことを明るみに出す。

時は進んで2011年。ヤフーは「スマホシフト」に出遅れていた。それを敏感に感じ取っていた中瀬竜太郎さんは、それまでブラックボックスで、コンテンツ提供者が「下位」だったヤフー・ニュースのプラットフォームの仕組みの変革を進める。それがのちに「ヤフー・ニュース個人」になる「ホペイロ」だった。(p317)

しかし、さらなる改革を進めようとすると中瀬さんは担当を外されてしまう。中瀬さんは「脱藩」という方法で起死回生の一手に出る(この辺りはネタバレが過ぎるので伏せておく)。中瀬さんの後を継いだ佐藤研輔さんも、ホペイロを発展させた事業の前進に苦戦する。

 佐藤は憤った。
 ヤフーは、二〇一五年には売上が四二八四億円、社員数七〇三四人の超巨大企業になっていた。社内には様々な官僚機構があり、その政治は複雑を極めていた。
 (中略)結局ヤフーは大きくなってしまって、執行役員でも中間管理職的にいつ首をすげかえられるかもしれない、とビクビクしている。そうした個人的な危機感があるとミスがないように気をつかうようになる。何か前向きに動くという感じがなくなっていく。今の状況はまさにそれじゃないか。(p343)

ヤフーといえば今も新進気鋭さを失わない会社に思える。でも、そんな会社でも官僚機構化する。その結果、スマホという新市場に尻込みをする。

読売をはじめ新聞がイノベーションのジレンマに苦しんでいる間に商機をつかんだ企業自身が、イノベーションのジレンマに襲われる。なんとも皮肉であり、でもこれこそが本質なんだと感じざるを得ない。イノベーションのジレンマには、それほどの吸引力があるということだ。


ジレンマを超える代償

本書はフェア。ここで「日経賛美」に走らず、きっちり、ジレンマを超えていく「代償」も書き込んでいる。

その代償とは、販売店の部数減。しかも、毎月のように部数が減るものの、「電子版に切り替える」という理由が本当かどうか、日経本社は明らかにはしてくれないという。極め付けは、ある日経販売店主の死である。2017年12月21日、56歳の男性店主が、日経東京本社のトイレで焼死した。

 近所の他系列の販売店の店長は、「毎日新聞の販売店がなくなって、その紙を預かるようになったって喜んでたけど、すぐに部数が減っていってしまったよね。配達員もベトナムや中国からの留学生を入れて、道に不慣れだから、朝八時になっても配り終わっていない、なんてことをやっていたから。会社に何かを訴えたかったんだろうね」(p383)

なお、この証言や下山さんが「代償」と見る見方に日経は反論する。

 「二〇一七年十一月上旬、ご本人から廃業したいとの申し入れがあり、同月に契約を解除しました。それ以前から辞める意向だったようです。日経との間にトラブルはなく自主廃業です。一方的に販売店契約を打ち切る「強制改廃」ではありません。
 自殺かどうかは警察で取材していただければと思います。日経との間にトラブルはありませんでしたので、日経への抗議というのは当たらないと考えます。
 火災直前に社員と話したり、言い争ったりということは確認されていません。
 今回の事案の背景に、販売店の経営問題があるとは考えておりません。日経はデジタルシフトを進めていますが、紙の新聞事業は依然収益の柱であり、販売店の経営基盤を強化することは経営戦略上の重力な課題であると考えています」(p401)

自分は、日経の回答を踏まえた上で店主の死に言及した下山さんを支持したい。そして、これがイノベーションのジレンマの超越を考える上で示唆的であると確信している。

デジタルシフトのような、オフラインの産業をオンライン化していく方向での産業革命は、労働力の代替を伴わないのではないか。紙の新聞がデジタルの新聞に変わったからといって、紙の新聞を売る人はデジタルの新聞を売れはしない。むしろ大部分は高度化、機械化し、労働を担う人間は取り残されるのではないか。この懸念は、井上智洋さんの「純粋機械化経済」や、ユヴァル・ノア・ハラリさんの「ホモ・デウス」でも指摘されている。

イノベーションのジレンマの超越が、企業の生存の上では重要な分水嶺だ。しかし、それに伴う労働力の切り捨てが起きないかは注視したい。実は、少なくない人が涙を飲む、逆の意味での分水嶺になっていた、ではあまりに悲しい。


別物の価値、地道な積み重ね

とはいえ、本書の基本路線は「デジタル化とグローバル化の潮流に抗して企業は生き残れない」(p427)だ。そこは外さない。だとすれば問題になるのは、「新聞にとって『良いデジタルシフト』とは何か」になる。

良いデジタルシフトとは。この答えのヒントは、いち早く有料電子版に取り組んだウォール・ストリート・ジャーナルのゴードン・クロヴィッツさんの言葉に見出すことができる。

 ウォール・ストリート・ジャーナルのデジタル版は、紙の記事の他に様々な付加価値をつけて、デジタル版ならではの意味を持たせるようにしていた。例えばダウ・ジョーンズ社は、通信社機能を持ちその専門の記者が一〇〇〇人の規模でいた。その記者たちが送ってくる記事を積極的にアップするようにした。紙のジャーナルの記事はデジタル版のほんの一部を占めるにすぎない。(p192)

デジタルには、デジタル「ならでは」の意味をもたせる。この「ならでは」こそがポイントだ。紙のコピーでも、副産物でも、添え物でもない。デジタルにはデジタルの「別物」の価値をつくらなければ意味がない。

もう少し抽象化すれば、新しい市場には新しい価値の創造が必要だと言えるかもしれない。新聞がネットで支持されないのは、新聞のルールで売っているから。ヤフーがスマホで苦戦したのも、パソコンのルールで戦い続けたからではないか。

これは非常に難しい。王者が初心者からやり直すような戦いだからだ。だからこそ、「地道」が大切になるのかもしれない。最後の謝辞が胸に刺さる。本書は、SFCでの調査型講義が元になっているのだが、受講生の「彼ら、彼女ら」に思いを馳せたこの文章。

 彼ら、彼女らは、私が学生だった時と違い、就社という意識はなく、自分たちのキャリアをもっと自由に変えていけるものとして捉えています。
 もちろん、原稿用紙を切り貼りしてなんてことは、まったく理解できないでしょう。マックのノートパソコンで軽やかにメモをとり、自分でソースコードを書き、個人事業主としてアプリをつくっている学生もいます。
 そんな彼ら彼女らに、言ってきたことは、未来を知るためには、まず歴史を知ること。そして歴史は誰かが粘り強く掘り起こし調査をしなければ、歴史にはならないということ。(p434-435)

読売は新聞のイノベーターだった。ヤフーはネットニュースのイノベーターだった。そして両者とも、イノベーションのジレンマにはまっていった。新しい生き方をする学生たちも、いつかは新しい市場に立ち竦むだろう。

そんなときに歴史を知ることが助けになる。新しい一歩を踏み出せる。しかし思い出したい。本書のような克明な歴史の記録は、地道で、粘り強い調査者なくしては、歴史になり得なかった。

新しい市場への道を切り開くのは、革命的なアイデアだけではない。むしろ平凡なことの積み重ね、その積み重ねたる歴史への敬意なんじゃないか。本書を読み切って、感じたことでした。(文芸春秋、2019年10月25日初版)


次におすすめの本は

若林恵さん責任編集「次世代ガバメント」です。ヤフーですら陥る官僚機構の硬直化。本書は近代的な官僚機構の成り立ち、利点と、それがなぜ現代では通じないのか、どうやってこれをリフォームするのかを一貫して学べます。

詳しい感想はこちらです。



この記事が参加している募集

読書感想文

万が一いただけたサポートは、本や本屋さんの収益に回るように活用したいと思います。