世の中の余白を増やすーミニ読書感想『人生をいじくり回してはいけない』(水木しげるさん)
タイトルが印象的で購入した、水木しげるさんの『人生をいじくり回してはいけない』(ちくま文庫、2015年2月10日初版)が面白かったです。ゆるゆるの水木節に浸れる。水木さんが書き続けた妖怪は、社会の影から、闇から生まれる。光だけの世界は生きづらい。水木さんの仕事は、世の中に余白を増やすことだったんだと感銘を受けました。
戦争体験や人生観など複数のパートに分かれる本書。中でも第3部『お化けは実在する』が面白い。
著者は、妖怪は見るものではなく「感じるもの」だと言う。たとえば、昔は古い雑巾は想像以上に汚かった。その気持ち悪さが「妖怪白うねり」を生んだ。闇夜、背後をついてくる「べとべとさん」は、静かな夜道に響く下駄の音が格別のものだったから感じられた。(p148)
つまり、何もなく、いろいろと不足する世界で、人の想像力が感じさせる何かが妖怪だった。この想像力の失われる社会はつまらないと、著者は指摘します。
世の中が明るくなって、妖怪が消える。このことに著者は警鐘を鳴らしている。
戦地を経験した著者にとっては、もちろん平和は歓迎すべきこと。しかも水木しげるさんは片腕を失っているわけですから。しかし、その明るさは、見えないものの存在を圧迫するものだとも捉える。
著者が妖怪と表現するものは、突き詰めれば、私たちがつい「理解できない」と排除する何かとも言えないでしょうか。そこには、定型発達者にとっての障害者、若者にとっての高齢者などが含まれうる。目に見えているものが全てになれば、視野に入らない社会的弱者を虐げる可能性がある。
つまり明るさは、無限に後退するリスクをはらんでいる。もちろん考えすぎではありますが、たしかに著者の指摘する通り、妖怪が棲む社会は、ちょっと恐ろしくても、優しい社会であろうと思います。
自らを「水木サン」と語るのが水木節。こんなにも説教くさくならず、自分の役割は妖怪を甦らせることかもしれんなーと、ゆるく語るのが素敵でした。
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