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不器用な神様が必要だーミニ読書感想『海の仙人・雉始雊』(絲山秋子さん)

絲山秋子さんの『海の仙人・雉始雊』(河出文庫、2023年2月20日初版)が心に沁みました。優しい感動が広がる。宝くじに当たり、敦賀の海辺の町で静かに暮らす男の元に「ファンタジー」という特に何も役に立たない神様が居候をしに来る、という話。波音にただ耳を澄ませるように、静かに静かに、物語が進んでいく。


ファンタジーという神様は不思議です。見える人にしか見えず、見える人は初対面にも関わらず「あなたがファンタジーですか」と問い掛けてしまう。既に過去に会ったようなデジャヴを感じる。

それでいて、ファンタジーは何もしない。奇跡も起こさないし、ご利益もない。目的もない。夜になると一人用テントに入り込み、ポッとほのかに灯った灯りの中で眠る。かわいらしい。

主人公は、ファンタジーと気ままに暮らす。そこに、ファンタジーが「運命の相手だ」と告げる女性と、ファンタジーからは特に言及のない元同僚の女性が訪れて、物語は動き出す。

何度も強調するようにファンタジーは特になんの役にも立ちません。あくまで居候。本来であればいてもいなくても一緒で、ある日突然消えても何も思わないはず。なのに、主人公やその周囲の人たちは、ファンタジーが居なくなることを想像すると胸が締め付けられる。寂しくなる。

片桐、という主人公に想いを寄せる女性も、ファンタジーとの別れ際、「あたしのファンタジーは終わりだ」と語る。でもファンタジーは「終わらない」と強い口調で断定する。

 「だってあたしはもうファンタジーに会うことはないんだろ?」
 「わからん。俺様にそういうことはわからん。ただ、人間が生きていくためには俺様が必要なのだ。お前さんのこれからもそうだ」
 「そ?」
 「ああ、だから、お前さんが生きている限りファンタジーは終わらない。俺様のことなんか忘れてもいいのだ。それは致し方ないのだ。だが、お前さんの中には残るのだ」

『海の仙人・雉始雊』p101-102

人間が生きていくために、この不器用な何もしやい神様が必要。必要なのだ。そして、出会ったことを忘れてもいい。でも、お前さんの中には残るのだ。

この断定が印象深く、不思議と勇気づけられるのでした。

人生において大切なものは、役に立つものでしょうか?生産性のあるものでしょうか?優秀なもの、美しいものでしょうか?たしかに全て、違うと思えてくる。

パートナーや子どもは、完璧ではない。一緒に過ごすには不自由も多いし、うまくいかないことも多い。でも、かけがえのない。

ファンタジーも、何の役に立つのでなくても、関わった人にたしかな「存在」を残すのでした。そうした存在に出会えたことは、「なし」にはならない。「忘れても残る」何かをもたらす。

本書は、生きること、誰かと生きることの面倒臭さと尊さを教えてくれる物語でした。

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