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「シン・ニホン」には希望がある(本の感想#7)

安宅和人さんの「シン・ニホン」は希望の本でした。希望とは、歴史から「勝ち筋」を分析し、未来へ向けて「打ち手」を繰り出すこと。「手を動かす」ことで未来が開かれていくこと。新しい景色へ、閉塞した現在の延長線ではない未来へ、灯火となってくれる一冊でした。


希望とは「勝ち筋」と「打ち手」

何度も繰り返したい本書の核心は「希望とは歴史から勝ち筋を分析し、未来へ向けて打ち手を繰り出すこと」。希望とは何か、それをこういう言葉で肚落ちできるようになれたことが学びです。楽観ではない。現実逃避でも、現状の否定でもない。手触りのあるものとして掴むため、本書は足場になってくれる。

日本はたしかに「AI」「データ」における産業分野で大きく立ち遅れている。しかし安宅さんの分析が面白いのは「そもそも日本は時代変化の第1フェーズで勝った経験がない」と喝破するから。

たとえば産業革命。日本は初期段階で鎖国しており、住人の大半は農業や漁業しか知らず、やってきた外国人を刀で斬りつける有様だった。しかし、世界で新エネルギーの応用が始まりつつあった段階でどうにか明治維新を成し遂げ、以降は爆速で追い上げる。そして戦後には、新幹線やファミコン、ウォークマンといった革新的で複雑な系を構築するまでに至った。日本は「第2波」から勝利した(p113-115)。

その上で、これまで第2波からの追い上げてきたルートを「4つの勝ち筋」として整理する。まず「すべてをご破算にして明るくやり直す」。明治維新のスクラップアンドビルドもそうだし、伊勢神宮の式年遷宮も「作り直し」の実例。2つ目に「圧倒的なスピードで追いつき一気に変える」。戦後を思い浮かべれば納得で、空海による仏教の発展もそうだといいます。3つ目に「若い人を信じ、託し、応援する」。ソニーを創ったのは20〜30代だが、実は元文科大臣などの重鎮が後ろ盾だった。最後に「不揃いな木を組み、強いものを作る」。薬師寺の塔など、現在も残る歴史的建築が象徴です(p130-135)。

この勝ち筋を形にしていくための「打ち手」、人材育成、制度改革の方法が、以降200ページ近くにわたって詳述される。読んでいけば、勝ち筋が再現可能なのではないかと思えてきます。ページをめくる手が止まらなくなり、体に活力が漲ってくることが感じられると思います。


個人は「手を動かす」

「では個人は何をすればいいのか?」についても豊富なヒントがあります。端的に書かれているのは、「知覚を鍛えること」。勝ち筋を現実化するために、かつ今後も勢いを増す「キカイ」にはなし得ない能力になるのが、「知覚」。それは、現象を総体的に認識、分析、思考し、そこから意志・問い・課題=「我々は何をすべきか、何を変えるか、どう生きるか」を生み出す能力です。

知覚を鍛えるための2つのマインドセットとして、安宅さんは「ハンズオン」「ファーストハンド」を挙げます。ハンズオンは、行動の「過程」の中で直接的に経験すること。ファーストハンドは、伝聞ではなく自身で経験すること。要するに、「手を動かす」ということです(p186-195)

手を動かすことの重要性は、少しページを戻って、安宅さんが一番最初に行う「現状分析」を読み直すとよく理解できます。躍進しているスタートアップを考えてみる。例えばUber。マッチングや評価、プライシングのシステムは自社で握りつつ、地図はGoogle マップ、決済システムはBraintree、通話はTwilioという各社のAPIに任せて、サービスを速攻でローンチした。この方法は「マッシュアップ」と呼ばれるそうです(p42)。

Uberは「全てを自社で完成させて」世界を獲りに行ったのではない。走りながら、他社の力を借りながらスピーディにサービスを開始し、改善した。これは「ハンズオン」の企業版だと言えそうです。

あるいは、「系のチューニング」(p39)。Googleが検索アルゴリズムを変えると、ゲームのルールが一気に変わってしまう。現在のアルゴリズムでいくらPDCAを回しても、全てを吹き飛ばす大嵐が来る可能性がある。そうなると、系=システム全体を絶えず修正していかなければならない。この時に大事なのは「フィードバックを即座に反映するループ」ですが、ファーストハンドの経験がなければ、フィードバックを察知することはできないのではないか、と想像がつきます。


本書自体が安宅さんの「打ち手」だ

終盤は、安宅さんが実際に進行している「風の谷」というプロジェクトの解説に紙幅をさいています。村おこしならぬ村おこしというこのプロジェクト自体が面白いのに加え、「安宅さんも実際に手を動かしてるんだな」と感銘を覚えます。と同時に、ハッとします。

「シン・ニホン」をこうして読めるのも、安宅さんが「手を動かしたから」だ。本書を出版することも一つの「打ち手」だったんだ。

「シン・ニホン」を読んでいくと正直、反感もあります(特にレガシーな産業に従事してる人ほど、「そうは言っても」と思う部分はあるのではないかと思う)。でも、きっと安宅さんはそれを「織り込み済み」で、それでも出版する選択をした。なぜなら、手を動かすことでしか学べないし、希望は開けないから。読者が本書のページをめくることではじめて、未来が動き出すからではないか。

だから、「はじめに」で打ち上げられた鮮やかなパンチラインよりも、「おわりに」にあるこんな一節が胸に残った。意気込みだけではない、痛みを引き受けた上で、なんとか未来をよくしたいという願いが読み取れるからです。

 宮坂学さんがヤフーの社長だった頃よく話されていた「来たときよりも美しく」という言葉をよく思う。この「とき」はタイミングであり、時代だと考えることもできる。自分が生まれたのは1960年代の終わりだ。そのときと比べて、自分は素敵な未来を残せているのか。そう考えると、なかなかに胸が痛い。これからも毎日自分の胸に手を当て、この言葉に向き合いながら生きていきたい。(p434)

「来たときよりも美しく」という言葉を、時代の受け渡しと受け止めることができることが、安宅さんの知覚であり、知性なんだと感じます。同様に、「シン・ニホン」の言葉をどう引き受けられるか。そしてどんな「手」につなげていくか。読者もまた、バトンを受け取っていかなくては。(NEWS PICKS PUBLISHING、2020年2月20日初版)


次におすすめする本は

若林恵さんの「さよなら未来」(岩波書店)です。WIRED日本版の編集長を務めてきた若林さんの言葉には、安宅さんと同様、「現在を希釈したものが未来になっては面白くない」という問題意識があります。悲観と楽観の間の、考えがいのある道をいく。そのための地図になってくれる本です。


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