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人生は終わりからまた始められるーミニ読書感想「われら闇より天を見る」(クリス・ウィタカーさん)

クリス・ウィタカーさんの「われら闇より天を見る」(早川書房、鈴木恵さん訳)は、今年ナンバーワン・クラスの極上の小説だった。米国の田舎町で起きた痛ましい犯罪により、打ちのめされた人々がそれでも人生を懸命に歩む姿を描く。原題の「WE BEGIN AT THE END」の通り、「終わり」からいかに人生を始めるのかを問う。


本書の何が極上かといえば、二つある。一つは彫りの深い人物造形。愚かで、だけどまっすぐ。「憎めない」というより、痛々しいほど人間らしい彼ら彼女らの姿をつい目で追ってしまう。さらに、その登場人物たちの軽妙な会話劇だ。詩的で知的で、「長い別れ」のようなハードボイルド小説の名作を思い起こさせる。

それは、原題の「WE BEGIN AT THE END」を「われら闇より天を見る」と邦訳していることにも現れている。著者の語りが巧みなのもそうだが、役者もこの作品の魅力を的確に捉えているんだろうなと、深く納得するし敬意を表したくなる。

そして本書は、原題が示すタイトルに本当に直球に挑んでいる。潔いくらいに。

米国の田舎町で、少女が無残な姿で発見される。30年後、その少女の姉の傷は決して癒えないまま、父親が誰か分からない娘と息子を育てていた。壊れかけの母親と家庭。彼女らを、友人である警察署長が懸命に支える。

そんな街に、少女を殺めた「犯人」が刑期を終えて戻ってくる。それ実は、少女の姉と、彼女を支える警察署長の親友である男だったのだ。

戻らない関係。失われた命。胸が詰まる「終わり」から、この物語は始まって展開する。

もう1人の主人公は、少女の姉の娘、つまり「叔母」を失い、それにより母親が壊れてしまった女の子だ。彼女は初めから不利に配られた人生のカードを、それでもなんとか投げ捨てずにプレイする。生まれた時から瀬戸際に立たされる人生。

終わりから始めるんだと言うのは簡単で、実行に移すのは困難を極める。みんな、迷う。さらなる過ちを犯す。投げやりになる。誰かを傷つける。

「どうして救われないんだ」と天を仰ぎたくなる。闇から見上げる天。それは真っ暗だ。本書が描きたかったことはこんなものなのか?揺さぶられながら、それでもページを捲る手が止まらない。

本書の帯の惹句には、ラスト1行が翻訳史上最高だとの触れ込みがある。納得だ。私はその1行にたどり着いた時、頭上の雲が少し切れ、光がさすのを感じた。天を見た。

何もネタバレをしたくない。手にとってほしい。特に今、人生が闇の中にあると感じるあなたに。

つながる本

今年の直木賞を受賞した窪美澄さんの「夜に星を放つ」(文藝春秋)も、喪失から歩み出す人々を描いていました。日英の作家が(クリス・ウィタカーさんは英国の作家)、同じテーマで物語を紡ぎ、社会の反響を呼んだというのは興味深いです。

ロバート・ベイリーさんの「マクマートリー」シリーズも近い。謀略で転落した老弁護士が、それでもめげずに戦う物語。小学館文庫の「ザ・プロフェッサー」「黒と白のはざま」など。

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