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『君たちはどう生きるか』を読んで(1/2回目)


ライフネット生命の出口さんが言っていた。
いや、いろんな書籍で出会った、いろんな人たちが言っている普遍的なことがある。

「古典を読め」

これは人間の真理や根っこを知る本を読めということなのかな、と今では解釈している。

で。
以前の私は「発行年の古い本を読んだって、こんなに移り変わりの早い時代に即したことなんて書いてないんじゃないか」っていう疑問がずっとあって。

なんとなく嫌煙していたのだ。
だって、みんな”読め”しか言わないんだもの。

ここまで書いて、ふと、この前読んだ山口周さんの書籍で、山口さんと対談していた臨済宗国泰寺派全生庵の住職・平井正修さんの言葉を思い出した。
”とりあえず、座る”

これは座禅について話していた時に出てきた言葉だ。
しのごの言わずに座る。
要するに、座禅をして得られるものは、教えられるものではない、ということだ。

それは、読書にも共通するように思う。
”とりあえず、読む”

今回こちらで取り上げる書籍を”古典”と捉える人もいれば、そうでない人もいるだろう。
ただ、私はあえて古典として取り上げたい。
その上で、現代にも通じる普遍的な思考・問題について、考えるきっかけとなってくれる本だ。

私の中で、”嫌煙する古典”に対する考え方が変わった本であると言うことを明記しておく。
そして、あまりにも感銘を受けた本であったため、自身の感情を抑えきれない節が散見される。
ひとえに、私の無知さゆえである。

無知さと言うことについて、私は、このnoteで自身の無知さを存分に披露してきたつもりだ。
ただ、回数を重ねるごとに、いろんな書籍と書籍がつながっていく感覚がある。
そうすると、まるで自身が賢くなったような気分に陥ることがある。
だが、断じて、それだけは違う。と、自身に言い聞かせる。
私は、現状、読書からいろんな人の意見を取り入れている。
ということは、あくまでも自身の思考ではなく、他人の思考の上で成り立つ自身の思考である。
そこを履きちがってしまっては、ただただ思考停止状態である。
それは、私の理念に反する。
※この思考の原点は、ショーペンハウエル著『読書について』に傾倒しているのかもしれない。

さて、noteで読書記録をつけている方の半数以上は読んでいるであろう『君たちはどう生きるか』。
実はほんの数週間前まで存在も知らなかった。
いや、正確には認識していなかった。

漫画として世に出版されている、あの有名な表紙は知っていた。

ただ、こんなにも語り継がれてきた名作であるということは、全く知らなかった。

私は、言いたい。
この書籍は、10代のうちに読むべき書籍であり、20歳、40歳、80歳と、年を重ねるごとに改めてなんども読み直し、再考すべき書籍である、と言うことを。

なぜか。
”人間の真理や根っこを知る”ことにつながるからだ。

学校を卒業して、出ていく社会には、正誤で判断できる問題などほとんどない。
仮に正誤で判断できる問題が発生したとしても、それは現代の科学や技術によってたちまち解決してしまう。
それは知識量の多い人たちが気づかないうちにパパっと解決してしまう。

だからこそ、これからの時代は、正誤で解決できない、複雑で正解のない問題を全力で面白がりながら取り組める人が、強い。
そして必要とされる。

※あとは、一次産業に従事する方達。
 そもそも、あの方達がいなければ、
 私はのんきにビールを飲みながら、
 noteに記録する時間さえもてない。
33歳のアラサー絶賛無職は、本気で、そう、思う。

ちなみに、私は、この書籍を半分ほどしか読み終えていない。
中途半端な状態でこの文章をさらすことにためらいを覚える反面、自身の思考の移り変わりを発見できるいい機会なのではないだろうか、とも考えている。

読み終えたとき、そのまま自身の思考を強化してくれる書籍になるのか、180度変えてしまう書籍になるのか。
自身の中に矛盾が起きていたら、それはそれで面白い。
ゆっくり楽しみながら、読み進めたい。

以下、感銘を受けた箇所を引用している。
すでに『君たちはどう生きるか』に興味を持った方は、下記は読まずに、とにかく書籍を読んでいただきたい。



【1つ目】

常に自分の体験から出発して正直に考えてゆけ

『君たちはどう生きるか』p54より引用

これは、現在、読書ばかりの自身に対する戒めとして。
続いて、こうも書いてある。

このことは、コペル君!本当に大切なことなんだよ。ここにゴマ化しがあったなら、どんなに偉そうなことを考えたり、言ったとしても、みんな嘘になってしまうんだ。

『君たちはどう生きるか』p54より引用

こうして、noteでアウトプットを練習している身としては、肝に銘じておきたい。

【2つ目】

肝心なことは、世間の眼よりも何よりも、君自身がまず、人間の立派さがどこにあるか、それを本当に君の魂で知ることだ。

『君たちはどう生きるか』p56より引用

さて。
これを教えてくれる人生の師匠はいただろうか。
少なくとも、私の親族にはいなかった、と記憶している。
ギャンブル狂い父、いつまでもオンナでいたい不倫母、世間体気にしい祖母、一時アル中祖父に囲まれて18歳まで過ごしたのでね。
(ちなみに、”親ガチャ”という言葉が流行った時期があったが、私はあの言葉が嫌いだ。)

さらに付け加えると、この続きが好きなのだ。

世間には、他人の眼に立派な人に見えるように、見えるようにと振舞っている人が、ずいぶんある。そういう人は、自分がひとの眼にどう映るかということを一番気にするようになって、本当の自分、ありのままの自分がどんなものかということを、ついお留守にしてしまうものだ。

『君たちはどう生きるか』p56より引用

引用している時点で、私の思考ではないのだが、私の思考の根っこを作ってくれる言葉になるだろう。
なんてったって、私の周りには”他人の眼に立派な人に見えるように”過ごしている方がすでに存在しているわけで。
そのかたをなんとか反面教師として昇華しようと格闘している身としては、放っておけない箇所なのだ。

【3つ目】

また、たとえ豊かな暮らしをしたからといって、それで自分を何か偉いもののように考えたりしないように、いつでも、自分の人間としての値打ちにしっかりと目をつけて生きてゆかなければいけない。貧しいことに引け目を感じるようなうちは、まだまだ人間としてダメなんだ。

『君たちはどう生きるか』p130より引用

”自分の人間としての値打ち”という部分に惹きつけられてしまった。
現状、無職ではあるが、今後の身の振り方として、転職なのか、ギグワークに足を踏み入れるのか、自営としてやっていくのか、バイトなのか、はたまた専業主婦なのか(いや長期的にどちらかが専業主婦ないしは主夫ができるほど、我が家は経済的余裕がない)。社会で生きていくことの真理のようなものを感じた部分だった。

ここは、こんな感じで、切り取って話してしまうと、なんとも話が通じない部分だろう。
ぜひ、”四 貧しき友”を読んでほしい。

今回の投稿は、一旦以上とする。
後半については、また後ほど。

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