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続・ポピュリズムを知りたい方へ『民主政とポピュリズム』は日本の現状理解を助けてくれる


また、昨日に引き続き、ポピュリズム。
なんだか気になる存在。
決して恋ではない。
でも気になる。
そんな私の頭の中は現時点でこんな感じだ。

【グラフ1】7月13日10:00時点の筆者の頭の中

今朝、目覚めたときはこうだった。

【グラフ2】7月13日6:00時点の筆者の頭の中

恋する乙女全開の脳内模様だ。
こんなグラフは初めて作った。
案外いい。
自分を客観視できる。

ちなみに政治に対する壁を感じている方は
昨日noteに記録した『統合欧州の危うい「いま」』をご紹介する。
著者は社会学者で、また違った視点で政治について学べるかも知れない。
ちなみに好き嫌いは真っ二つに分かれる本(著者)だと伝えておく。
私は好き。

今回記録に残す書籍は私にとって難しかった。
まだふわっと理解している程度のアラサーが読むには背伸びを必要としたが
今日の私は背伸びしたい気分だったのでしょう。

1.書籍紹介

・タイトル|『民主政とポピュリズム
       ー ヨーロッパ・アメリカ
       日本の比較政治学 ー』
・編  著| 佐々木 毅(ささき・たけし)
・発行年月| 2018.6.15
・発  行  元| 筑摩選書
・編著略歴| 1942年、秋田県生まれ。
       東京大学法学部卒業。
       東京大学教授、東京大学総長
       等を経て、日本学士院会員・
       東京大学名誉教授。博士(法学)
       政治学・西洋政治思想史を専攻。
      (本書紹介欄より引用)

2.あらすじ

反エリート、反移民、反グローバリズムといった潮流が、ヨーロッパ諸国でもアメリカでも強まっている。貧困層のために立ち上がるはずの中道左派はグローバル化へと舵を切り、労働者階級はポピュリストを支持するようになった。こうした中で先進諸国の民主政は変調を来し、その連鎖は拡大しつつある。ポピュリズムの台頭は、各国の内政・外政にいかなる帰結をもたらすのか? 複雑な様相を呈する民主政の現在を第一級の研究者が鋭く分析し、来たるべき民主政のあり方を展望する。

『民主政とポピュリズム ヨーロッパ・アメリカ・日本の比較政治学』より引用

3.徒然なるまま感想文

そもそもポピュリズムとは以下の意味がある。

ポピュリズム(英: populism)とは、有権者を「エリート」と「大衆」に分けた上で、2つを対立する集団と位置づけ、「大衆」の権利こそ尊重されるべきだと主張する政治思想をいう。 日本では、「大衆迎合」「衆愚政治」「扇動政治」「反知性主義」などの意味で使われることが多い。

wikipediaより引用

そしてこの本は編者の佐々木氏をはじめ10名の有識者が各々の専門に基づいて執筆の当時の現状を分析されている。
その著者たちはいわゆる”エリート”だ。
なので(と書くことは短絡的すぎるかもしれないが)
反ポピュリズム的な表現や大衆が政治の主導権を握ることに対し否定的な意見もある。
私はどちらの立場でもなくただの野次馬感覚でポピュリズムを知りたいだけの人なので気にならないが嫌な気持ちになる人もいるかもしれない。

3-1.井戸端会議に似てる

私はいわゆる女子トーク(?)が苦手だ。

ア:昨日旦那がさー、あーでコーデあーでさー。
イ:なにそれ、最悪ー。うちもさー、コーデさー。
ウ:うわ!それ離婚案件じゃん。やっぱDAIGOみたいな旦那がいいよねー。

↑こんなやつ。
もちろん愚痴りたいという気持ちは理解している。
ストレスというのは適度に発散しないと心身の不調をきたす。
ただ、なんか、こう、引いてしまうのだ。
最悪だの離婚案件だのといった感想をもつスピードが早くついていけないのだ。
もちろん、感想を言った”イ”と”ウ”も本気で言っているわけではなく単なる相槌や定型文なのだろう。
ただ、なんか、こう、クソ真面目アラサーはなんか引いちゃう。

で、飯尾潤氏が第9章で『日本政治の展望』と題し分析されている。
この中で出てくる文章が気になった。

ポスト・トゥルースと呼ばれるように、自分に都合のいいことだけを信じ見なし、それ以外は虚偽だとされてしまうと、客観的な議論が成り立ちません。反エリート感情が、知識とか制度・規範を無視する方向に進む恐れもあります。(中略)有権者の方も、その時その時の気分に合致した主張を支持するようになり、極端化・両極化が生じるようになってしまいます。

『民主政とポピュリズム ヨーロッパ・アメリカ・日本の比較政治学』p154より引用

ここから下は私の個人的な意見だ。
これはさっきの”ア”の論調が、自分に都合のいいことだけを話してしまった場合、”イ”と”ウ”から客観的な指摘は得られないってことと似てるんじゃないかって思っていて。
政治と井戸端話を一緒にするなというご意見はごもっとも。
ただ、著者は、ポピュリズムについて、井戸端会議の延長線上(しかも比較的近い場所)で政治が語られる危険性を指摘しているのかなと思う次第であります。

3-2.こんな時は”エンパシー”

グローバリゼーションの影響下で、ヒト・モノ・カネ・情報の流動性が高まって政治的共同体の自明性が揺らいでいることです。とりわけヒトに関して、国境の閉鎖性が崩れてくることで、日本の政治の担い手は日本国民であるとか、ドイツの政治の担い手はドイツ国民であるといった自明性が低下してくるわけです。デモクラシーというのは、その政治的共同体のなかで、有権者が互いに仲間であることを前提としますが、それが崩れてくる。
(中略)ナショナリズムを強調することで、政治的共同体を無理やり再興しようとする動きは多くの国で生じていますが、(中略)排外主義に陥りがちで、経済的な合理性を欠く主張が力を増すことで、経済的な弱体化が生じ、自国中心主義が自国の繁栄を損なうといった現象も出てきます。

『民主政とポピュリズム ヨーロッパ・アメリカ・日本の比較政治学』p159-160より引用

私はポピュリズム+ナショナリズムに熱狂する姿に恐怖を感じる。
どうしても第二次世界大戦のドイツが頭をよぎるからだ。

意図的にナショナリズム強調している人は、とりあえず脇に置く。
私の中での問題は、強調している人を信じきってしまっている人だ。
ただ、ここで、1つ。
思い出して欲しい。
そう。エンパシーだ。

ブレイディみかこ氏の著書『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』で、一躍有名になったエンパシーだ。

熱狂している人を知ること、そしてその人の立場に立って物事を考えてみることが大切だ。

だから、私はこの書籍を手に取った。
ポピュリズムが何モノなのかを知りたかったのだ。
ただ、さすがに2日で2冊のポピュリズム関連の書籍を読みnoteに記したことで私の恐怖心は適正値になったので、そろそろもういいかなってなっている。

4.おわりに

今回の書籍は一足早い”夏の課題図書”のようなものだった。
自分の気になるワードに関して知るために読む。
この感じ、何年ぶりだろうか。
今、こうしてnoteを打ち込んでいる端末でささっと調べても、表面的で形式的な答えは返ってくるのだが、こうした本には著者の考えがにじみ出てくるところが面白い。
学生時代を思い出してワクワクする。
もちろん、全てに同意できる意見というわけではない。
ただ、最近”エンパシーかぶれ”の私に言わせていただければ

そこがいいのだ!




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