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愛すること 知りたい気持ち

欲しいものをあれほど欲しいと思える、七葉の心に私は負けている。

主人公の麻子は学年が一個下の妹の七葉に対して、小さい頃から劣等感を持っていた。七葉は自分よりも可愛くて、機転が利いて、名前だってずっと女の子らしい。

だけど容姿より名前よりずっとコンプレックスに感じていたこと。七葉にあって、自分に足りていないと感じるもの。それは“愛する力”だったんだと思う。

それは骨董品屋の娘というバックグラウンドが、さらに強く感じさせてしまっていたと思う。七葉も麻子もよくおんなじものに惹かれた。だけど、

結局、いざというときの七葉には一度もかなわなかった。

七葉は好きになったものがあると、それを絶対に離さない。対象物を全身で丸ごと愛す。そんな七葉を横で見て育った麻子は、自分には “愛する力”が欠けていると感じずにはいられなかった。就職して靴屋で働きだすと、更にそれを感じるようになっていく。

心の底から何かを愛したり欲したりすることのできる人と、そうはできない人がいる。私は後者だった。

靴屋で働く人たちは、心の底から靴を愛していた。一日中見ていられる、誰にも取られたくない、ずっと靴のことばかり考えてしまう。そんな人たちと働くうちに麻子は、靴をそんなふうに愛せない自分には、やっぱり愛する力や頑なな一途さが欠けていると感じるようになる。

だけど茅野さんと出会ってから、自分の“愛する力”を別の角度から見られるようになる。

「知りたい」と「好き」は同義語なのよ。


自分が本当に小さかった時の、好きだったモノを思い出してほしい。
私はおはじきが好きだった。平たい透明なガラスに、赤や黄色の模様が浮かんでいて、光にかざすとキラキラして綺麗だった。本当に綺麗で、私はどこにいくにもずっと手の中に持っていた。なんであんなことを思いついたのかは正直覚えていない。ある時ふとどんな“味”がするのか、確かめてみたいと思って口に入れた。(最終的に間違って飲み込んでしまって、病院行きになったのだけれど笑)

でもあれは確かに「好き」だった。どんな味がするのか「知りたい」という、どうにもならない激しい欲求だった。そしてそれは、対象物を言葉通り丸ごと飲み込む、激しい「好き」だった。

では恋愛もそうだろうか?
私たちは恋愛すると、その相手を「知りたい」と思う。当たり前の欲求だ。だけど、それだけじゃないはずだ。今どこで何をしているのか、GPSで逐一監視して相手を“知ろう”とするのを、私たちは“愛している”としないはずだ。

「俺のことを縛ったり、縛られたり、したいと思う?」

茅野さんは麻子に問う。ううん、と答える。相手のことでがんじがらめになるのが愛じゃない、という茅野さんの言葉が麻子の胸にすとんと入る。

愛する力が激しいほど、誰とも共有したくない、独り占めしたい、なんでも知っていたいとなるかもしれない。誰にも渡したくない、私のもの、という感情を“頑なな一途さ”と呼ぶこともできる。だけど、そんな“愛する”行為は本来もっと自由で、広くて、居心地が良いものなのなんだ、きっと。

今の私だったら、おはじきをもうちょっと上手に「好き」ができるな、なんて考えたりした。


Written by あかり

アラサー女


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