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なぜ生きるのか?という哲学的な問いは、”現実”を生きる私たちに必要?

例えば自分の人生を一冊の本にしたとする。

私の人生のあれこれを各チャプターごとに区切れたとして、1つのチャプターは、この池田さんの言葉に出会う前と後で区切れると思う。

生きるために生きている限り、生きていること自体に意味はない。

『残酷人生論』 池田晶子 著


目的と手段が混同してしまって、人生に迷子になっている時だった。
私にとってこの言葉は、衝撃的な出会いだった。
だって、それまで生きるために生きていたから。

朝起きては歯を磨き、メイクをしては仕事に出た。
なぜって?だって生きなければいけないでしょう。
お金を稼がないと食べていけないでしょう。

誰でも一回は考えたことがあるあの問い、私はなぜ生きるのか?ということを、頭の隅に追いやっては“現実”を見ていた。

だってそんな観念的な、哲学的なことを考えていてもしょうがないでしょう。
生きなきゃいけないんだから、現実を見なさいよ。

そう。そんな自分に池田さんの言葉は容赦無く語りかける。

一番簡単なのは「貨幣」。
一万円札が、一万円の価値なのはなぜ?
あんなもの紙とインク代と印刷代を合わせても一万円になんかならない。
だけど私たちが一万円だ!と“思う”から一万円に“なる”。

この不思議、つまり観念/考えが全て先なんだということ。
現実を現実たらしめているのはあくまで観念ということ。
つまり、観念的なほうがよっぽど現実的だということ。

この衝撃、みなさんはすでに知っていましたか?

人が、自分の自由に気づこうとしないのは、ほんとは自由なんか欲しくないからである。
生きるも死ぬのも、私の自由。
この絶対自由が、しかし人は深いところで怖いのである。
そんな怖い自由はイヤ、それで生きるも死ぬも考えるのも、社会やら国家やらに任せて不自由と言いつつ、実は安心していたいのである。

自分を不自由にしているもの、例えば年齢や容姿、性格やこれまでの人生の経験などあれこれを解体していくと、怖いことにこの事実に行き着く。

結局私は自分の自由が怖い。

哲学に触れている人はどれくらいいるんだろう。
私は社会学や人類学、心理学も少し勉強したことがあるけれど、哲学が一番面白い。
そして一番クル。
私を、生まれや育ち、環境や社会から一切排除する。
そういうものを、カウントしない。
そしてひたすら考える。

善悪を知らないというそのことが悪い。
知らないということが悪いことだと知らないことが悪い。
それは誰にとっても悪くはないが、お前にとってだけは大いに悪い。

私が知る中で一番ホットな哲学者、池田晶子さんの残酷人生論に是非出会って見てください。


Written by あかり

アラサー女



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