きみはポラリス ずっと私の一等星
私がこの本に出会ったのはいつだっただろうか。確か中学校に上がった頃だったと思う。
そして私は節目節目で、この本を読み返す。出会った頃からかるく10年は越えたと思う。そして年を重ねるごとに、惹かれる一文や短編が変わることが、本の持つ面白さの一つだと知った。
読み始めた当初から好きなのは「夜にあふれるもの」。
求めても与えられず、探しても見いだせず、門をたたいても開かれることがない
そうだ私は恋をしている
誰でも片思いをしたことのある人にはこの感情を味わったことがあるはずだ。
片思い、なんて言葉では収まらない出会いや年月、そしてその叫びが胸を打つ。
25歳の私が一番惹かれるのは「冬の一等星」。
主人公映子は幼い時に出会った文蔵との出会いが忘れられない。親にこっそり隠れて後部座席に乗っていると、車を盗んだ文蔵にたまたま“誘拐”されてしまうというストーリーだ。
突飛なシチュエーションに驚くが、8歳の映子は文蔵を悪い人だと思えない。
文蔵は静かにあんたのことは、必ず家に返してあげる、と言う。
映子はうん、と信じる。
映子が子供で純粋だから、といった単純な解釈には当てはまらない、文蔵をスルッと信じてしまう2人の関係が何だか居心地が良い。そこには誘拐犯と拐われた子といった関係を超えたつながりが確かにあった。
そして大人になった映子は、文蔵の顔が思い出せなくなっても、文蔵と見たうさぎ座を思い出す。
どうして文蔵と同じ星を見ていると信じられたのだろう。それらはあまりにも遠くにあって、触れてたしかめることもできないものなのに。
確かに夜空には無数の星が散らばっている。あの星と、この星をつなげて、うさぎ座だよなんて言われても、今その人と本当に同じ星を見ているなんて、信じるのは難しい。
でも映子はそれが信じられる。
全天の星が掌に収まったかのように、全てが伝わった瞬間。
あの時の感覚が残っているかぎり、信じようと思える。
伝わることはたしかにある、と。
たった一度の出会い、ほんの少しのやりとり。
でもそれだけで自分の魂みたいなものがぐにゃりと変わってしまうことはよくある。
映子は文蔵と出会う前と出会った後ではきっと違う。映子は文蔵と出会って人を信じることを知った。この“気づき”を教えてくれた人とはもう会えなくても。
“愛”は“恋愛”に限らない。死ぬまでの間に“愛”に出会える数はどれくらいだろうか。
報われない恋もある。時には誰にも理解されないような瞬間にたった一人で立ち会うこともある。
だけど私は死ぬまで、この魂が形を変える出会いを求めていたい。
きっとこれは愛だけができる術なんだと思う。
Written by あかり
アラサー女
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