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ニュートンのりんごとブッダのりんご

ニュートンのりんごの逸話

古典物理学の祖であるアイザック・ニュートンには有名な逸話があります。それはいわゆる「ニュートンのりんご」としてよく学校の授業などでも話されるものですが簡単に概略を書いてみます。

ニュートンの家の庭にはりんごの木が生えていました。彼はそこの木陰でよく紅茶を飲んでいたのですが、ある時地面に落ちるりんごを見てこう思ったのです。

「なぜりんごは横でも斜めでもなく、いつも地面に向かって垂直に落ちていくのか」

紅茶を飲む手をとめて考え込みます。そこでもう一度りんごが落ちるのを見て閃いたのです。

「りんごは地球の中心に向かってまるで吸い寄せられているようだ。そうか!地球には地上のものを吸い寄せる力があるのだ。いやそうじゃない。りんごも地球もお互いに『引き合っている』。しかし結果的に質量の大きい地球にりんごが引き寄せられているように見えるのだ」

言葉で書くと長ったらしいですが、ニュートンの頭の中では電光石火の如く幾多の思考が駆け巡り、一瞬でひとつの答えを導き出したのでしょう。これがいわゆる万有引力の発見です。

ニュートンは「りんごが落ちる」というありふれた出来事から万有引力という世界の法則を悟ったのです。

このニュートンの悟りはブッダの「悟り」によく似ていると思います。ただブッダの悟りで難しいのは、ブッダの見たものがりんごのようにありふれたものではないところです。

ブッダのりんごはなかなか観られない

ブッダの見たりんごならぬ「観たりんご」は仏教の言葉でいうと「法(ダンマ)」です。これは「(仏教的な)真理」とも言えます。この「りんご」を観るためには常人ならざる集中力と気づきの力が必要です。

よく「ブッダの悟り」について考えている人がいますが、この比喩で言うとだいたい「りんごがどういうものか」という話に終始しています。あるいはりんごを観たブッダの心境について推測していたりします。

しかしブッダの悟りはりんごを観るだけでなく、観たものから普遍的な法則、ニュートンでいう万有引力のようなものを発見して初めて「悟り」なのです。しかも、言語化された万有引力について理解しても意味がありません。実際に自分でりんごを観て、自身の経験として万有引力を閃かなくてはなりません。

ブッダのりんごには3種類ある

ブッダのりんごには3種類あります。ここではその3つを銅のりんご、銀のりんご、金のりんごとしましょう。銅のリンゴは100個落ちるところを観ると「万有引力」を閃くことができます。銀のりんごなら10個、金のりんごなら1個で大丈夫です。

この銅のりんごを仏教の言葉で「無常」と言います。銀は「苦」、金は「無我」です。この3つを法の「三相」と言います。

金、銀、銅のどのりんごが落ちるところを見られるかは本人の資質によります。金のりんごを見られればすぐに悟れますが、見つけるのが難しいです。逆に銅のりんごは見つけるのは簡単ですが、何個も見つけなくてはならないため悟るのに時間がかかります。銀のりんごはその中間です。

世間で言われる大半の「真理」は金のりんごであるかのように謳われていますが、実際には「普通のりんご」です。普通のりんごが落ちるところをいくらみても、なかなか仏教的に悟ることはできません。普通のりんごは「真理の色」が薄いのです。たくさん見てもいっこうに真理には至れません。

だからまず金、銀、銅のいずれかのりんごが落ちるところを観られるようにならなくてはなりません。そのための仏教の実践、いわゆるヴィパッサナー瞑想なのです。

読んでいただきありがとうございました。


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