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では、「美しいことは正しい」は本当か? 〜サイエンスの女王“物理学”の迷走〜

サビーネ・ホッセンフェルド著、「数学に魅せられて科学を見失う」

2000年に「科学の終焉」と銘打った書籍が出版されました。著者は確かサイエンス系のジャーナリストで、科学の進歩が停滞していることを指摘しました。最先端の科学はもうこれ以上やることがないのではないか、というのはある程度の説得力があったように思います。

そして2020年、現場の最先端の女性理論物理学者ザビーネ・ホッセンフェルダーによる邦題「数学に魅せられて科学を見失う」(原題”Lost in Math”、直訳すれば数学の中で道を見失う(迷子になる))が日本で翻訳され出版
されました。
最高峰の学問であるはずの物理学に起きている迷走ぶりを現役の理論物理学者が、著名な物理学者にインタビューをして、素直にその疑問をぶつけいていることが、とても好感が持てました。
つまり、今の最先端理論物理学、おかしんじゃね?と。

エレガントな宇宙、って本質なの?

「自然科学における数学の不合理なまでの有効性」という言葉があります。これは宇宙が数学によってちゃんと説明できてしまうにもかかわらず、その理由はさっぱりわからない、ということです。現代最先端理論物理学者は、数学をいじり回すことに囚われ、ちゃんとした物理現象をみていないのではいか、というのがサビーネさんの主張です。
日本でも、ベストセラーになったブライアン・グリーンの「エレガントな宇宙」は、最先端理論物理学の成果である弦理論を取り上げたものでした。現代の理論物理学では、相対性理論と量子力学を統合できる理論がエレガントであり、そして(多分)正しい、と思われているようです。しかし両者はあまりに相容れない理論であるため、物理学者にとっては途方もない制約である、ということになるそうです。弦理論はそれを解決するものとして期待される、というのが「エレガントな宇宙」での主張であったかと思います。

しかし、この弦理論では宇宙項が負であることを要求し、これは現実の宇宙ではありません。弦理論を支持する理由はどこにあるのでしょうか?
偉大な物理学者である故フリーマン・ダイソンは痛烈な批判を加えます。「弦理論が魅力的なのは、それが職に結び付くからだ。弦理論は安上がりで、予算が少ない辺鄙な大学でも最先端の物理学科をつくることができる。」と。
そして物理学者たちは、もっとも成功した理論である「標準模型」を嫌います。理由は「(数学が)汚い」から、です。理論の正しさを判断するのに美しいとか汚いが基準になるのはおかしいのではないか、ということです。

「検証できない」、それは科学だろうか?

素粒子の存在予言から発見までにかかった年数をまとめてみました。みてわかるとおり、どんどんその期間は延びていきます。これは発見のためのコストも膨らんでいくということです。発見しにくい粒子を見つけるには膨大なエネルギーが必要とされ、粒子の顕微鏡ともいれる加速器はどんどん大きくなります。

素粒子存在予言から発見まで

物理学は理論と実験の両輪で発展してきました。しかし、このような実験の困難さと相まって、今それがうまくかみ合っていないようにみえます。
投資家のジョージ・ソロスが心酔する以外、あまり認知されていない哲学者のカール・ポパーは、「科学的な理論は反証可能なものでなければならない」といいました。もはやこれは時代遅れな言説であることを多くの人が指摘しています。サビーネによれば、「どんな説でも、新たに登場した証拠にあうように修正したり拡張したりすることが可能だから」ということです。

爆笑問題太田氏の挑発 「反証可能性」に関する追記

ポパーの「反証可能性」について、とても面白い話を見つけたので、追記します。出所は、以下の書籍の"第2章科学の条件としての反証可能性"からです。

ここでは、NHKのテレビ番組「爆笑問題のニッポンの教養」で爆笑問題の太田光氏が京都大学を訪れ、「金星の動きは科学的に説明できる」という教授に対して、「金星の動きは私の意志で動いている」という仮説も成立する、と太田氏は論争を挑んだとのこと。
もちろん太田氏は、番組を面白くするためにこんなことを言っているわけですが、これが意外と奥が深い。あなたは、「金星の動きは"太田氏"の意思で動いている」ということを論破できるでしょうか?
あなたはいくらでも太田氏に反証(反論できる証拠)を示すことができるかもしれませんが、おそらく太田氏には「いやそれは私の意志だから」とかわされてしまうでしょう。
本書によれば、これは太田氏の「自分の意志仮説」が、間違っているという仮説を示す構造が存在しないことにある、と指摘しています。つまり「反証可能性」が存在しない、ポパーに従えばそれは科学ではない、ということになります。
これを上記の議論に当てはめてみましょう。科学が理論で上書きされてしまう状況は太田氏の「自分の意志仮説」と同じ構造を持ってしまうのです。金星の軌道はニュートン力学で求めることができます。でも、アインシュタインの相対論では、その軌道はわずかに異なるはずです。もちろん「自分の意志仮説」よりは出鱈目な状況にはなりませんが、それでもポパーの主張する「反証可能性」を持つ、という科学の土台は揺らぎそうです。
ましてや「並行宇宙が存在する」というかなり真面目な理論は、「自分の意志仮説」とたいして変わらないように思いませんか?いくらでも「それは並行宇宙が存在するからだよ」と言われてしまいそうです。
サビーネさんはこんなことを言いたかったのではないでしょうか?

論文、バイアスの根絶を目指せ

以下のグラフの一番左上は、中性子の寿命の測定値が年ごとにどのように変化しているかを示しています。これからわかるのは、測定の精度が上がっていること、そして当初から存在していた測定の不確定性の範囲を超えてある値へと向かっていることです。他の測定値はそうはなっていません。

Patrignani C et al. (Particle Data Group) 2016. “Review of particle physics”

どうしてこうなってしまったか。「実験家たちが無意識に自分たちが知っている値を再現しようとした」というのはある一定の説得力を持つ、ということです。
科学界の理論家、実験家といえ、人間です。色々な思い込み、勘違いにとらわれることは不思議ではないし、責められるべきでもないでしょう。
でも今後は膨大なデータが手に入り、データからの検証が可能な時代になりました。今後は論文をみる、参照する際にバイアスを取り除く、ということが求められるようになるでしょう。
医学論文でもシステマティックレビューが求められます。有名な先生が書いたからこの治療法は信じられる、とか、英語で書かれた論文だけ参照していないか(英語バイアスっていうんですよ)、とか、すべて思い込み、バイアスです。
サビーネはいいます。「私たち科学者はこれまでも常に認知バイアスと社会バイアスの影響をうけてきたのだ。」、「大きな集団になればそれだけ関連する情報の共有は困難になる。専門化した集団ほど、そのメンバーは集団の見解を支持する情報ばかり耳にすることになる。」
バイアス自体は決して悪いものではありません。人類が進化の過程で獲得した能力のひとつです。バイアスがなければ意思決定はできません。でも科学には客観性が求められます。私たちは常にこのことを心に留めおく必要があるのではないでしょうか。

行動経済学からの警鐘 バイアスに関する追記

さてこれまでの議論は以下の行動経済学の一般向け書籍でも指摘されています。
曰く、『自分の信念を肯定する証拠を意図的に探すことを確証方略と呼び、(中略)「仮説は反証により検証せよ」と科学哲学者が教えているにもかかわらず、多くの人は、自分の信念と一致しそうなデータばかり探す、いや科学者だって頻繁にそうしている。』
なんとまあサビーネさんの主張そのものを裏付けるような話が飛び出してきました。

おわりに

このような本を書かれたサビーネですが、世捨て人になることもなく、研究助成金もゲットしたので、頑張って研究続けるようです。
今世紀はバイオエンジニアリング、人工知能、神経科学、の世紀になる?いやいやそれは間違っているそうだ。物理学のブレイクスルーは今世紀には起こるであろうし、そしてそれは「美しい」はずだ、と。

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