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家族と仕事を両立するイクメンを気取ったら救急車で運ばれたおっさんの話

いきなりクライマックス

2022年9月。
僕は北海道の大地を車で走り、職場に向かっていた。
北海道の道は広く、直線が続き、景色も良い。
レンタカーの観光客やでっかいアメリカンバイクで走り回るバイカーたちが「道を走ることが旅の目的」と語る、そんな道。
そんな道を通勤で運転中、僕は突然息が出来なくなった。

そんな馬鹿な、と侮るなかれ。本当に突然なのだ。
少しおかしい、などという自覚症状は一切ない。
広告なし、OPなし、映画泥棒の広告なし、突然映画が始まったと思ったらいきなりクライマックス。
Youtubeも倍速で見るのが流行っているこんな時代、逆に流行るかもしれない、そんな映画みたいな「息が出来ない」という状態。
笑えない、けど今となっては笑ってしまうくらい突然やってきた。

焦った。
何が起きているのか分からない。
よく「枕を顔に押し付けられたような」とか「口の中に布を押し込まれたような」なんて表現を小説の中で読んだことはあるけれど、あれは後から振り返ればそんな感じ、というだけ。
その瞬間は、そんなこと考えられない。
苦しみ、恐怖感、焦燥感。
そんな負の感覚が、お気に入りのおもちゃを求めるイヤイヤ期2歳児の如く、脳内で暴れまわり、叫びまわっている。
冷静な思考が入り込む一部の隙も無い。脳内メーカーは真っ黒だ。

とにかく車を止める。
息が少しだけ楽になったような気がする。
少し休めばいけるか?
そう思った瞬間にはまた息が出来ない。
救急車。
脳内メーカーが黒から赤に変わった。
助けを呼ばねば。
その一心で救急車を呼ぼうとする。
スマートフォンで緊急通報ボタンを押す。電波が悪くてうまく会話が出来ない。場所が伝わらない。焦れば焦るほど息は出来なくなる。

今の救急は本当に優秀。
スマートフォンの発信位置をGPSで特定し、救急車を向かわせてくれた。
技術の進歩に感謝。
ストレッチャーに乗せれれ、病院に運ばれる中、呼吸が出来ない苦しさ焦り、それに助けが来た安堵感のようなものが混ざり合い、脳の感情を処理するキャパシティを超えたのか、意識が朦朧とし始めた。

眠いような気持ちが悪いような混濁する意識の中で、僕はなんとなく今回の突然の呼吸困難の原因を察し始めていた。
この約1年間、自分の身体から発せられた信号をことごとく無視し続けた。
その結果、身体は自らを強制シャットダウンさせようとしているのだと。

Why?

遅ればせながら、これが僕です。
まずは自己紹介を兼ねて、なんでこんなことになったのか、振り返りながら一人語りしてみようかと思います。
何回になるか今のところ未定ですが、気が向いたら、一つのエンタメ程度に読んでみてください。


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