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記憶

子供のころの記憶
鮮明に覚えている人は、どのくらいいるのだろう。
過去の記憶や、子供のころの記憶は忘れていくものらしいが、
どういうわけか、私は記憶に残っているものがある。

もしかすると未だに過去に捉われているからなのかもしれない。
過去は過去で、その出来事がどんなに理不尽であったとしても
その背景や関係していた人間関係を思い返せば、何ら許せる話なのだが
何故か印象に残って離れない。

先日、つづった親戚のお爺さんの死もそうだが、他にも記憶に残っている。
楽しかったこと、嬉しかったこと、つらく悲しかったことなど。

そんな思い出を、少しづつ書いていこうと思う。

私は、母親と手を繋ぐことが苦手だった。
母親のことは好きではあったし、大切な存在で、守りたいと思う気持ちが
常にあった。
母はいつも何かに怯えて、度々泣いていた。
父とのけんかも絶えなかった。

私はそんな環境の中で、甘えることができずにいた。
空気を読みすぎていた。
幼いながらに。

そう、何故、手を繋ぐことが苦手だったかというと、
母が私の手を引っ張り母の歩幅で歩くからだった。
母の身長は当時、165cmほど。
私は1m程だったろう。

その身長差で、手を繋がれ母のペースで歩かれては、
腕は上にあげたままの時間がたまらない。
血流が悪くなって、腕がしびれて痛くなる。
20分も片腕をずっと上にあげて引っ張られて
歩いてることを想像してみてほしい。
血液の循環が悪くなることが想像つくだろう。

母に、手がしびれて痛いと告げると
決まって母は
「手を繋いでるだけなのに、痛くなるはずがないでしょ!!」と
声を張り上げる。
でも痛いことを伝えつと、危ないから手は離せないと言われる。
ごねる私。(笑)

母と買い物に行くと毎回そんなやり取りがあった。
そんなある日、私と妹と背中に弟を背負った母。
妹と母が手を繋ぎ、買い物先の店先で妹の手を
グイっと引っ張た母。
妹の肩が脱臼した(笑)

それから、母は手を繋ぐことを加減してくれるようになった。

当時の母はかなりのキャパオーバーだったと思う。

そんな母に意地悪を言う気は全くなかったが、
腕が痛くなるということを信じてほしかった子供心。

なので、自分の子供には手を繋ぐときにはいつも確認するようにしていた。
手を繋ぐことを嫌がり行動的になる2,3歳のころには
ハーネスをつかってた。
子供たちは、ハーネスをつけて歩いた記憶はあまりないらしい。

過去の記憶が残っているのは
当時の感情が満たされていなかったからだろう。
もしくは、その時の感情をうまく表現することが
できずにいたために、こうして今も残っているのだろう。

とはいえ、当時の私の育った環境では
幼くても感情に蓋をしてしまう習慣ができたしまうものだった。

だからと言って、当時の
「ママは話を聴いてくれない、信じてくれない」
という感情を引きずっているわけではないが、
当時の無念さや理解してほしかった気持ちという記憶は
残っている。
まぁ、幼い当時の私自身を思い出して
イメージの中で愛でるようにはしている。


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