女の連勝記録は月1で絶たれる
NOTEを始めて一週間、早くも私の記事の更新は滞ってしまった。
やる気が足りないとか、ネタ切れだとか、だらしないとか、三日坊主だとか、才能がないとか。それは(まあ、事実なんだけど)、とりあえず置いといて。
だって生理がくるんだものーー。
記事の投稿どころか、家事も食事も風呂もなにも生活の一切が宙に浮いて、私だけベッドに沈み込む。
「生理は病気ではない」と教えられてきたし、加害者もいない「はず」なんだけど、ならばどうして女はこんなに生きづらいのか。
私が若い頃は、世間は生理に関して今よりももっと、ずっとずっと無知だった。
「生理は将来、母親になるための大切な儀式です。毎月、感謝して痛みを受け入れましょう」とか、「月経困難症や子宮がんになりやすい人の特徴を見ると、女として生まれたことを喜ばしく思っていなかったり、子供は産みたくないなどといったわがままな性格の場合が多いような気がします」とか、そんなとんでもないオカルトじみたハラスメントが堂々と言われていたし、また、体罰が正当化されていた時代にあって、体育の授業を休むような学生は「情けない」とか「貧弱」だとか「怠慢」だとか「非行の始まり」だとか言われてなによりも減点されるきらいがあった。
「生理痛は甘え。女でも金メダルを取るやつはいる。なんでおまえは出来ないんだ。要はやる気の問題だろ」といった風潮の中で、高校生の頃に体育で男子と柔道をさせられたときは、もはやレイプをされたような気持ちで、男子に押し潰されながら、もうこのまま舌を噛んで死んでしまいたいと思ったほどだった。
まだ生理がなかった時代の記憶もある。母が泣いていた。生理でしんどかったのだろう。夫から「いつまで寝てるんだ。はやくご飯を作れ」と怒鳴られ、布団に顔を突っ伏して声を殺し、涙をぐじぐじ拭い起きてきたのだ。私は意味がわからないながらにあのときもやはり「死にたい」と感じていた。怖くて生きていけない。あんな父と母の関係を見せられたら、幼女だって本能でわかる。女に生まれたら地獄。母も自分も、この世の奴隷なのだと思った。
現代はどうなのだろう。
いまどき生理に無知な男は家庭でも会社でも立場を危うくするだろうし、生理休暇というまともな制度もある。生理に限らず「女性が不利であってはいけない」社会の到来である。
ーーが、なにか変わったか?
残念ながら変わるのは生活スタイルばかりで、女の生きづらさはちっとも変わらない。ご飯がパンに変わっても、オートミールに変わっても、皿洗いをするのは女である。この世は相変わらず女には不利なままだ。
その女の中でもまた様々に不利のランクがあるからややこしい。美人だったりブスだったり、金持ちだったり貧乏だったり、若かったりおばさんだったり、独身だったり家族があったり、シングルマザーだったり、性格が素直だったりねじ曲がっていたり、都会っ子だったり、田舎っぺだったり、外国人だったり、生理が軽かったり重かったりーー。
例えば生理は3日で終わり出血もほとんどないという女性と、一方、交通事故にでも遭って内臓がえぐられた人のように出血し寝込む女性とでは生きづらさは天と地ほども違うわけだけれど、これらの差がなぜ不利有利を生むかと言えば、結局は、男性にとって都合が良いか悪いかである。
生理休暇はもらえるけれど仕事は任せてもらえなかったり、「君は生理でもパフォーマンスが落ちないから助かるよ」とほめられたり、生理で寝込む日数を「いいよ、いいよ」と言いながら夫が「貸し」として勘定していたり、恐ろしいのは、今後おそらく世界中の女性が「救済」を名目に、筋腫を切除するなりピルを服用するなり子宮に医療器具を装着するなりを「強いられる」時代がやって来るだろうことだ。表面上の「女性が不利であってはいけない」社会は、もはや生理痛の存在を許さない。
我々はいまだもって、昭和どころか江戸時代と変わらない「殿方の手をわずらわせてはいけません」社会で暮らしているのであって、そしてそのとおり男の都合に合わせられる女が、他の女を出し抜き多少の恩恵を受けられるのである。女が女に対して「生理をコントロール出来ない女はバカ」と思い込まされ、お互い優越感や強迫観念でぐちゃぐちゃになりながら、これまで同様これから先もずっと、女の幸せや生きづらさというものを、どれだけ男に気に入られるか否かに支配され続けるのだ。毎月、毎月、隠れて血を流しながらだ!
そんな社会で、いったい我々は何を目指し、何を達成したらいいのだろう。金メダルとか、連勝記録とか、ホームランとか、営業成績トップとか、エリートとか、キャリアとか、もはや「勝利」は自慢にならないでしょう?
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