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連載更新! コロナ禍2年を過ぎて、ますます混迷を増している   『コロナ禍の下での文化芸術』4章その4 「コロナ第6波、学校感染多発でついに〈みなし感染判断〉という非科学的対応に、それでも各地で舞台公演は続いていた」

コロナ禍2年を過ぎて、ますます混迷を増している
『コロナ禍の下での文化芸術』4章その4 
「コロナ第6波、学校感染多発でついに〈みなし感染判断〉という非科学的対応に、それでも各地で舞台公演は続いていた」


※前回の記事
コロナ禍の2年間を振り返る

『コロナ禍の下での文化芸術』4章特別編 その3「コロナ第5波を経て、関西での大規模なオケ公演も継続中」
https://note.com/doiyutaka/n/na902d08db9b3


⒈  コロナ第6波の学校感染と、選抜甲子園大会


学校感染の実情をみていると、コロナ感染の第6波は、現実には感染者数などの正確な記録は不可能だったと思える。そのぐらい、保健所と医療機関が崩壊状態、逼迫し過ぎていたということなのだろう。それでも、コロナ感染症の拡大がこれで6回目というのに、2年も経つのに、感染者のデータが不正確にしか記録できないというのでは、今後、もっと強力な変異株が襲ってきたら、もう日本国の医療は完全にお手上げなのではないか?
それなのに、ちょうど第6波の最中、1月〜3月は中高大学の入試シーズン真っ只中だった。昨年の大学入試は、コロナ対応が十分できたとは言えなかったが、それでも、2020年の全国一斉休校の悪影響を考慮するという名目で、大学入試に関して複数日程などの受験生への配慮を行っていた。なのに、今年の受験シーズンは、そういう配慮はほとんどなかった。2021年の受験シーズンよりも、学校感染ははるかに多く、受験生の多くがコロナによる悪影響を受けていたはずなのに、その実態は、自治体も文科省も公表を控えるばかりで、そのために報道にもほとんど出ないまま、つまりは世間一般には、2022年の受験生がどれほどコロナ危機の悪影響を被ったか、全く伝わらないままで過ぎてしまった。
気の毒なことに、高校受験でも、運悪く(としか言いようがない)受験直前に感染してしまった中3生が追試に回され、その結果、不合格で併願の私立高校に不本意進学するしかなかった例が、たくさんあったのだ。そんなことは全く報道されなかったので、ほとんどの国民は、「15の春」をコロナで泣かされた中3生が大勢いたことを知らない。

それなのに、奇妙なことに、第6波の今年1〜3月の間も、コロナの悪影響で不合格となった受験生の無念の涙を尻目に、どういうわけか舞台公演、演奏会や部活の大会、それも春の選抜高校野球甲子園大会は、観客も大勢入って開催されたのだ。このアンバランスさ、日本社会が、中3生や高3の受験生たちの人生最大の選択である入試よりも、舞台公演やスポーツ大会の方を重視しているのではないのか?と思えてしまう。
特に選抜甲子園では、大会出場校も複数、コロナ感染者を出して出場辞退や不戦敗となっていた。やはり無理な大会強行だったのではあるまいか? 並行して行われた大学入試や高校受験でも、同じように(もっと多い人数で)コロナ感染によって不利な入試結果を受けざるを得なかったのだ。これらは全て日本政府、つまり厚労省や文科省がコロナ感染、特にオミクロン株が子どもにも多数感染するという海外での知見を無視して、学校での感染拡大を事実上放置した、最悪の結果なのではないか。
なぜ、厚労省・文科省は、2020年の春を、2021年よりもいいかげんな感染対応で済ませようとしたのか?
その結果、第6波での学校感染による子どもの感染者が激増してしまったのは否定できないだろう。またコロナ感染症の後遺症がどうなるのか、まだ不明な点が多く、無症状で感染しても長く後遺症に苦しむという知見もあるぐらいだ。日本政府が組織的に大勢の子どもの感染を放置したことは、今後、厳しく検証される必要がある。


⒉  第九を大人数で歌っても大丈夫?


それはそれとして、前回の記事ののち、2021年末から2020年春にかけて、クラシック音楽界も懸命の演奏活動が継続されていた。その中で筆者がどうにもうなずけない話もあった。
指揮者のミッチーこと井上道義氏が、2021年の第九公演をキャンセルしたが、その理由が、ベートーヴェンの交響曲第9番に必要な合唱の人数で演奏できないのはダメだ、しかもマスクをしての合唱はありえない、というものだった。コロナ感染対策で合唱はマスク着用の上、人数を減らすということだったのだが、井上氏にとっては、マスクをして人数を減らした合唱はダメだという判断だったという。
このことは、単なる演奏会キャンセルにとどまらない、クラシック音楽の演奏者の持つべきモラル、常識、内心の良心にも関わる問題だ。つまり、芸術のために、健康リスクをどこまで冒していいものか?という価値判断だ。


※井上道義ブログより引用
《井上はこのコンサートの指揮を執ることを断念しました。今日大フィル合唱団の人達に会って誤解のないように説明してきました。実はずっと以前からマスクで合唱をやるというような(特に第九のような喜びに満ちていなければならない作品ならなおさら)まるで弦楽器に弱音器を付けてスフォルツアンドを連打するような愚挙だ。そんなことは例え大金をつまれても私には出来ない!
それに、あのマスクまるで灰色のKKK団のマスクか、粘土製の褌を顔に付けたようではないか
(中略)
とは言え!それでも歌いたいというアマチュア精神は捨てたもんじゃないがゴメン、
僕には出来ない。この様なことはもとから解りきったことで、もっと前に指揮者の変更をするべきだったと思われる。ギリギリになってこの騒ぎは茶番だし、たとえ数人でも僕が指揮をするという理由で切符を買った人に申し訳がなさ過ぎる!!
合唱だけではないがコンサートで感染が広がるのを防ごうと、クラシック音楽協議会が指針を作ってもう長くなる。その影響で歌手達それもアマチュアの合唱団は息の根が止められている。指針には飛沫がオーケストラに被らないようにと言う理由なのだろうが、50~60人以上の合唱が出来ない数字になっている。大きな声の基本があり、実力も高いプロの人達なら少ない人数で第九なども出来ないことはないが、アマチュアの人達が沢山より集まって熱気を帯びて歓喜の合唱をするのは感動的なこと。マッシブなパワーの発露というのはオーケストラとの生演奏ではとても重要。
(中略)
ホールは「何かあったら責任が取れない」と言う。責任はもう初めから彼ら一人一人が取っている。子供扱いするのは失礼ではないか。「指針」の再考をお願いしたい。2021.12.10》

※上記記事引用元
https://www.michiyoshi-inoue.com/2021/12/post_158.html

2021.12.12
大阪府 : ザ・シンフォニーホール
午後 2時開演
ベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 「合唱付」 op.125
[指揮]現田茂夫
[管弦楽]大阪フィルハーモニー交響楽団
[合唱]大阪フィルハーモニー合唱団
[ソプラノ]髙橋絵理
[アルト]鳥谷尚子
[テノール]宮里直樹
[バリトン]デニス・ビシュニャ
指揮者変更のお知らせ (2021.12.08)
https://www.asahi.co.jp/symphony/event/detail.php?id=2485


⒊  空気感染する前提で、学校や舞台公演のコロナ感染対策をもう一度作り直せ!

上記のように、井上氏は、「ホールは「何かあったら責任が取れない」と言う。責任はもう初めから彼ら一人一人が取っている。子供扱いするのは失礼ではないか。」という。もし合唱団から感染者が出ても団員一人一人が責任を取れる、もう取っている、という趣旨で大人数の合唱を実現させたいようだ。
だが、その認識は、コロナ感染症が空気感染するということを知らない人のもので、失礼ながら井上氏は、コロナ危機に関して考えが甘すぎる。
ご自身は感染しようが問題ないということであっても、合唱団の一人一人の健康、もし感染した場合の、それぞれの家族への感染拡大、というような、空気感染する2類感染症の危険性への認識がない。
井上氏のようなノリで大人数の合唱をやってしまって、もしクラスターを起こしていたら、世間の合唱へのイメージは決定的に悪化しただろう。もう当分、合唱曲は演奏できなくなりかねない。
プロの有名指揮者が、自分の望むように公演をやりたいばかりに、出演者の(あるいは観客や職員たちも)健康を考慮しないというのは、あまりに無責任すぎるといえよう。これでは芸術家のわがまま、としか受け取られなくても仕方がない。

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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/