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教育は先生だけではない

8月3日

梅雨も明けて一気に夏本番。九州にいなくても、日本全国ものすごく暑い日が続いている。今週は山形県の県立高校、企業でのミーティング、業者さんのセミナーでの基調講演、模擬授業など盛りだくさんだった。

今週は様々な企業の方と話す機会が多くあり、その中で感じることがあった。私はもともと小学校の教員で、それは10歳(小学校4年)の頃からの夢だった。10歳の時からずっと、「どうすればいい先生になれるか」ということを一人探求しながら生きてきた人生だった。そのために読むべき本や、様々な体験をすすんですることを自分で選択してきた。大人になってようやく講師として母校に勤務した一年は、最高にシアワセだったことを鮮明に覚えている。


学校にいて、先生として子どもたちや保護者と接していると、何となく「先生」という職業人になっていく。毎日授業をし、朝から晩まで教室で子どもたちと触れ合っていると、「先生」という職業の崇高さや、尊さを感じる。そしてあまり外に目が向かなくなる。周りが見えなくなるのだ。

例えば、休み時間に職員室にいる教材屋さんや販売店、文具店の人、保険の説明に来る人、印刷機を修理に来る人、ICT支援員さん、夏休みに学校内の工事をしている人・・・学校には外からたくさんの人が来る。私たち教員はその人たちに対して、あまり敬意を払っていないように感じる。

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もちろん子どもたちに直接関わり、活動し、授業しているのは間違いなく先生だ。でも実は見えていないところで、子どもたちを想い、仕事をしている人はもっとずっとたくさんいる。そして忙しさのあまり先生だった自分は気づけていなかった。
私がいた情報化推進班は教育財務課にあった。そこは施設の補修や、改修、災害対応も行い、いわゆる現場調査などをして、業者さんと一緒に学校に行くようなチームが隣にいた。毎日遅くまで残って、子どもたちが困らないように、快適に生活できるように、全く教育者でもない、先生でもない多くの大人たちが、子どもに想いを馳せ、考えて仕事していた。それを知った時に、当たり前だけど意識していなかった自分に気づいた。

教材屋さんや販売店のセミナーでも、全国各地からプログラミングや教育の最新動向を知るために多くの人が集まって、積極的に情報交換していた。自分の立場で何ができるか?それぞれが課題意識を持ち、子どもたちの未来のために、何をすべきかを考えていた。


学校や、子どもたちのために、と思いながら働く人は、実はたくさんいる。もちろん先生たちは最前線で向き合っているが、それを支える教育委員会や地域の人、保護者、関わっている企業や業者の方、ICTのシステムやアプリを作っている人。先生はそんな人たちの想いに敬意を払って教壇に立つべきだと思う。そしてお互いに支え合い、交流し合い、対話しながらより良い子どもたちの未来を描くべきだ。学校や先生だけではこれからの教育現場はもう限界だ。社会全体で関わり、協働しながら育てていくことが肝要だ。それが”社会に開かれた教育課程”ではないだろうか?

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