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「しずしず」の例文

知らない言葉や知っていても使ったことのない言葉に遭遇したときは忘れぬよう書き留めているのだけど、いっこうに身につかない。使わないから覚えないのだ。「しずしず」を使ってみる。

 祖母の家は大工が建てた。そう聞いている。家の中央あたりに太い大黒柱がどっしりと立っており、建築の知識など皆無なので構造上の重要性は分からないが、その柱に対する全幅の信頼がなぜかずっとあった。

 たとえば幼い頃は落書きをした。壁や襖などもっと描き易い場所があったはずなのに、柱を選んだ。もちろん祖母からは怒られたが、柱は許容してくれると思った。たとえば思春期にはイライラをぶつけて蹴りつけた。足の甲をぶつけたら痛そうなのでライダーキックの要領で足裏を向けて飛び蹴りをかましたが、柱はびくともしなかった。
 大きな地震にも耐え、幾年月を越えて今も祖母の家を支えているその柱に倣って、自分が家を建てるときも大黒柱は立派なものをと思っていた。

 立地やら広さやらお値段を総合すると、建て売りの戸建てを買う以外に道はない。今の時代、この歳で家を持てるだけでも大成功と言っていい。ただ、大黒柱がないことだけが不満だ。そのことを祖母に相談すると、煙を吐き出すついでに笑われた。祖母は3本目のタバコに火をつけながら、だったら神棚はどうだと提案してきた。神棚が大黒柱の代わりになるのだろうかと疑問を抱く私の隣で、妻は2本目のタバコを祖母にもらいながら「いいじゃん」と乗り気だ。祖母は「だよね」と大きく頷きながらライターに火をつけて妻に差し出した。

 神棚はホームセンターに売っていた。神様にとっての家だとすればホームセンターにあっても不思議はないがどうにも手軽過ぎるように思えたので、せめてこちらの態度だけでもと姿勢を正してしずしずと通路を進み厳かにうやうやしく物色し、大きさやら材質やらお値段を総合して自分たちに合った神棚を選んだ。ついでに工作用木材売り場へ寄り、小さな円柱の木片を見繕って一緒にレジへ持って行った。駐車場で、その円柱を神棚の中へ押し込んで大黒柱とした。

 帰り道、遠回りをしてこれから住む家を見に行った。神棚を飾る場所を検討するつもりだったが、家具の配置をすべて見直す必要が出てきてしまった。リビングの中央を、内見したときには無かった直径50センチメートルほどの太い柱が貫いている。「まじかよ」と固まる妻の隣で、私は柱に向かって久しぶりのライダーキックだ。

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