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尾も白い犬のはなし 2 戦場をかける犬

“いい犬はいい主人を得てはじめてほんとうの名犬になる“

 

 主人公のヤンは空軍兵士、パートナーはジャーマンシェパードのアンティス。といっても、アンティスは軍用犬でなく、軍隊で暮らす犬、だ。実在したという二人の、戦中・戦後記である。ヤンはナチスドイツの侵攻により故国チェコスロバキアを追われ、フランス空軍へ入隊、イギリス空軍を経て、戦後帰国する。そこで家庭を築くが、大戦後の社会主義政権により、再度追われる身となり、家族と離れてイギリスへ亡命する。この物語の軸は、特別な絆で結ばれた人と犬だが、その背景には第二次世界大戦〜戦後の激動のチェコスロバキアの歴史が流れている。アンティスはそんなヤンの側にいる、唯一無二の存在だった。

 アンティスは恐るべき能力を発揮した。敵機の襲来をいち早く感知して、味方に“警報”を出すことが出来た。空襲の瓦礫の中から、生き埋めになった人々を探して知らせた。オランダ沿岸を飛ぶヤンの戦闘機に、敵の対空砲火が命中した時刻に、イギリスの基地にいたアンティスはぶるぶると震え、悲痛な遠吠えをあげもした。ヤンの亡命時には、国境地帯の道無き道を先導し、警備兵を襲い、河に流された仲間を救ってみせた。それは、アンティスとヤンが紡いできた特別な絆以外のなにものでもなかった。

 二人は1940年2月、第二次世界大戦のさなかに巡り合った。フランスとドイツの国境には、フランスの築いた要塞であるマジノ線(1)、ドイツの築いたジークフリート線(2)が対峙していた。その間の無人地帯から物語は始まる。廃墟に取り残された子犬。かたや、ドイツ軍の対空砲火にあい、無人地帯へ不時着したフランス空軍兵士。「愛情と信頼を基礎に、あとはおたがいに無限の忍耐を持って、元来遠くへだてられた意志の通じあわぬ世界に、ひとつのかけ橋を渡そうと、日夜たゆまぬ努力を続けたのだった」。しかし、ヤンは常に完璧であった訳ではない。平和の中では娯楽に魅せられ、アンティスと過ごす時間が大きく減ったこともある。するとアンティスはヤンの言うことをきかなくなり、放浪をはじめ、雌犬を追って家出し、ひどい怪我を負って帰ってくる。そんなピンチを乗り越えて、ヤンはアンティスへの愛情を更に深め、二人は互いが分身であるかのように昇華していく。アンティスを13歳で看取ったあと、ヤンは生涯、犬を飼うことはなかった。埋まらない穴を抱えて、ヤンはどう生きたのだろうか。

 大戦が無ければ、二人は巡り合わなかった。アンティスは農家の犬として穏やかに暮らしただろう。ヤンは故国を出ることもなく、家族と何気ないひと時を重ねていったのだろう。戦時や亡命という、凄まじい緊張の中で、研ぎ澄まされ、増幅された二人の絆。出逢いはいつでも偶然で、やがて運命に変わっていく。運命は胸が震えるような愛情に満ち、そして哀しい。


『戦場をかける犬』(文春文庫)
原題:One man and his dog
著者:A.リチャードソン(Anthony Richardson)
訳者:藤原英司
出版社:文藝春秋
出版年:1977年

1. https://ja.wikipedia.org/wiki/マジノ線
2. https://ja.wikipedia.org/wiki/ジークフリート線



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