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尾も白い犬のはなし 5 ドクターヘリオットの愛犬物語

“犬は、独自の遊びを作りだしたりする“


 犬にも性格が、個性がある。パピヨンとヨークシャ・テリア(ヨーキー)と暮らしているが、性格は正反対と言ってよいほどだ。両親と居た犬をいれると、3匹のヨーキーとお付き合いしたのだが、これがまた、てんでばらばらである。そして最も共通点が多いのは、パピヨンと初代ヨーキー、ときている。それで、犬種の特性というものとは異なる次元に、多様な個性があるのだ、とおもうようになった。

 1900年代の前半、動物の順位は「馬牛羊豚」最下位に「犬」。でも、農家で奮闘する獣医ヘリオット先生の、一番やりたかったことは、犬の名医なのだった。大動物一色の中で、犬猫を相手にするのは、きらきら光る時間だった、と回想している。本書は、そんなきらきらから生まれた短編集である。


 ところはイギリス、ヨークシャ地方。緑の丘、日の光、清らかな大気、小石が透けて見えるほどの流れ。訳者のムツゴロウ先生こと畑正憲さん(1)は、ヨークシャ地方の訛りを、北海道弁に置き換えたという。それがまた、物語に味わいを添えている。というのも、飼い主もなかなかに際立っていて、犬の話だったはずが、人の物語になったりするからだ。ヘリオット先生とムツゴロウ先生がオーバーラップする瞬間があって、それもまた魅力である。

 物語はすべてがハッピーエンドとはいかないけれど、ヘリオット先生は一つ一つを咀嚼して、受け容れてきたのだとわかる。だから、ストレートに届く。「尾も白い犬のはなし」に、とりあげたい本と、そうでない本の分岐点は、何だろうと考えていた。その答えの一つが、ここにあるような気がする。フィクションであっても、ノンフィクションでも、それはどこまで作者のからだを通過して、血肉となったものなのか。幸せな出来事なのに、心に響かないはなし。ましてや、犬の肉体や精神が傷付き苦しむ物語に、書き手の消化不良があったとしたら。

 一番好きな犬を紹介しよう。牧場に暮らすシェップは、大きなからだで、いたずら好き。それは、ヘリオット先生をして驚きのあまり「おもらし」寸前にいたらしめる、破壊的な技である。

 真夏のヨークシャ、田園風景。豆畠で満開の花の香りと、静寂に身を委ねている先生。
 

 その時だ、警告も予告もなく、いきなり足元の大地が破裂した。何やら毛むくじゃらの物体が陽をさえぎった。赤い口が、突如として顔の正面に出現し、
 ”わああああん!“
 と吠えたのであった。
 私は悲鳴をあげた。後ろへよろめいた。
 にらみつける余裕を取り戻した時には、シェップはゲートのあたりを全速力で逃げていた。あいつは、畠のまん中の草むらに隠れ、私の鼻くそが見える距離まで、襲撃を控えていたのである。

 ヘリオット先生には申し訳ないのだが、わたしは、快哉をあげていた。シェップはうちのパピヨンそのものだった。技は違えど、いたずら魂が同じなのだ。自分で楽しいことを作り出してしまう、その心意気よ。ほとばしる、小悪魔的な創造のエネルギーよ。このきらめきを、個性と言わずしてなんとする。

 あなたは、この犬知ってる! と叫びたくなるかもしれない。
 逢いにいってみませんか。


『ドクター・ヘリオットの愛犬物語(上・下)』集英社文庫
原題:James Herriot’s dog stories
著者:J. ヘリオット(James Herriot)
訳者:畑正憲、ジェルミ・エンジェル
出版社:集英社
出版年:1992年


1. http://mutsugoro-okoku.com/ 







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