長夜の長兵衛 雷乃収声 (かみなりすなわちこえをおさむ)
曼珠沙華
峠は何度も越えておるが、この道へ踏み入れるのは初めてである。道、というても余程に目を凝らして、足に伝わるものに気を配らねば、獣どもが通ったあととは解らぬであろう。
あらためて、金兵衛の体の運びの確かさに長兵衛は感じ入る。薮の右から左からしなるを分け、流れるように進む。
にわかに目の前がひらけたかと思うと。
地面が燃えておった。
一面の彼岸花に、長兵衛は息を呑む。
かようなところまで、とんできて根付いたのでございますか。
いや。この花は種をつけぬゆえ、たれか植えたものがなければ、ここで咲くことはできぬのだよ。
金兵衛はそう言って手を合わせた。
斜め後ろに立ち一緒に手を合わせておると、金兵衛が振り返る。
やられたな、長兵衛。
はっとして左の頬を撫ぜると、指先に赤いものが付いた。あの薮の細長い葉の刃。
大きな痛手を覚悟せねばならぬこともある。余分な傷は負わぬよう気を配っておけ。
赤い花を負うた金兵衛の姿が、雷神のように思われてならぬ。
<了>
pixabay by Kanenori
本年の雷乃収声は、9月22日〜9月27日頃。
雷乃発声が3月30日〜4月3日頃。七十二候は、季節の巡りが対になっているものがいくつかあります。
こちらからは、ビューワー設定により縦書きでご覧いただけます。
また、以前に執筆しました二十四節気の物語と、今回の七十二候が順に並んで出てまいります。
長兵衛をお楽しみいただきやすくなっているかもしれません。
お気持ちありがとうございます。お犬に無添加のオヤツを買ってやります。