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わたしは文学ドッグトレーナー #未来のためにできること

#文学ドッグトレーナー
これは私が生み出した言葉で、ハッシュタグで検索しても誰も使っていない。

私はドッグトレーナー歴26年の、まぁベテランと呼ばれる部類に入る。一般家庭で飼われている犬と人とのトラブルを解決するのが仕事だ。
この業界にもシンギュラリティの波は押し寄せる。これまで経験や感覚が重視されてきたドッグトレーニングも、今や超科学的・理論的となった。このことは、先入観で犬を決めつけてきた過去と比べれば格段に良い傾向だ。
今や、ChatGPTですら愛犬の問題行動の解決法を問うと、なかなか的を射た答を返してくるらしい。
科学的に…理論的に…

しかし、ChatGPTですら正しく答えられるようなペットとの暮らしに、いったい何の意味があるのだろう?

SNS上では、犬との暮らしについて日々戦争が起こっている。外飼vs室内飼、生食vs加熱食、ワクチンは打つべきか打たざるべきか、罰は必要か不必要か…
どちらの主張も常に自分を正義とする。
そこで各々重要なのが科学的根拠の有無だ。相手を論破するためのエビデンスが必要となる。
正しさとエビデンスは切り離せない。
そして正しさを追求すれば、来たるシンギュラリティの時代に、科学的根拠をもって「人の生活にペットは非効率であり不要」とされるだろう。

人間は、難から易へ、遅から速へ、遠から近へ、高から低へ、少から多へ…常に幸福と効率を求めて流れてきた。
しかし、膨大なエネルギーを消費しながら流れるその列車は必ず終点0に着く。
だから終点に着く前に列車を乗り換えなければならない。

人間と人間以外の動物が、この先も共に生きる意味を持てるとしたら、唯一の手段は科学から文学に乗り換えることだと私は思う。
文学は相互的であり、私の世界とあなたの世界は違うけどそれでいい。そしてそれは否定されないと教えてくれる。
そして、一見非科学的なこの文学という代物は、実は常に科学的根拠の先にあるのではないか。文学は空想のお花畑ではない。文学は宇宙であり無限の創造力だ。
だからこそ、シンギュラリティの時代にペットと共生するためには文学が必要なのだ。
文学が無ければ、人間は効率の良さだけを求める動物となる。
そして、文学の無いペットとの共生は科学的根拠をもって不要となる。

そしてそれはペットに限ったことではない。

私は文学ドッグトレーナー。
仕事へ向かう列車の中で、今日も物語を読む。

#未来のためにできること

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