長島に移住した理由(前編)〜島生活1ヶ月経過〜
OgusuYujiです。
鹿児島県長島に来て1ヶ月が経過しました。早いものです。
そろそろ自分が何をしにきたのかまとめていこうと思います。
遡ること17年前、僕は高校生の時に初めて聴いたRhymester、NITRO MICROPHONE UNDERGROUND、ZEEBRAといったアーティストをきっかけにジャパニーズラップにどっぷりとのめり込みました。
僕が聴き始めた以前のレジェンドであり、HIPHOPの黎明期を支えたキングギドラ、BUDDAH BRAND、MICROPHONE PAGER、スチャダラパーなども聞き漁りました。
好きなことを貪り続けることが出来た年頃って本当に良かったですよね。。。(遠い目)
黒歴史ですが、リリック(歌詞)を書いたりもしていました。笑
そんな青臭い高校生であり、地元上石神井と、通学していた高校という箱庭の中にしかいなかった自分にとって、とてもとても大きなきっかけだったことが、ADSLのネット回線で連日ラップを調べたりしている過程で、HIPHOPコミュニティに出会ったことです。たしか、「Busta Street」というコミュニティです。今は無きコミュニティです。
このコミュニティを知ったことで、全国各地のラップ好きのB-BOY、B-GIRLたちと繋がり、東京エリア外で活躍するラッパーたちを多く知ることになりました。熊本の餓鬼レンジャー、名古屋のM.O.S.A.D、栃木の時雨などなどですね。
山形からはるばる東京に会いにきてくれたコミュニティの住人にも直接対面したり、顔も見たことがない住人と互いに手持ちの音源をMDに録音し、送りあったりしていました。今では考えられない行動力もあったわけではありますが、インターネットによって作り上げた人脈や知識といった恩恵にあずかり、都市部とローカルの垣根を破壊したインターネットに魅了されていきました。
いつかラップについて好き放題noteを書きたいと思います。
そして、大学に進学し、自分の人生の大きなターニングポイントである学生NGO「JUNKO Association」に入りました。
ベトナムとミャンマーで雑貨を買い付け、その雑貨を日本で販売した収益を2カ国の未就学児に学校に通う助成金として支援する活動を行っていました。
JUNKOって?となりそうなので、詳しくはWEBでご覧いただきたいのですが、JUNKO Associationの活動拠点であるベトナムの中部都市ダナンには「JUNKO SCHOOL」と地元の方に親しまれる学校が建ち、その学校を軸とした活動が形成されていました。ここで、人や地域に必要とされる仕事が存在することを学び、且つ僕自身そこに携わることによってアドレナリンが放出されることを味わいました。おかげさまで、大学在学中に8度ベトナムの中部都市ダナンを訪れるほどベトナムに陶酔していきました。
好きなことを貪り続けることが出来た年頃って本当に良かったですよね。。。(遠い目)
そんなこんなで、「日本をエンパワーメントする」というメッセージを掲げていた楽天に入社することに繋がります。僕が人生で大きく影響を受けた「IT×ローカル」という2つのキーワードと重なり合ったからです。
大分長い前段となってしまいました。
ということで、誰にも期待されていないと思いますが前編、後編の2部構成で後編は社会人編として時間を見つけてつらつらっと書いていきたいと思います。
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