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尾崎豊『I Love You』の悲しすぎる解釈

先日、尾崎豊の「盗んだバイクで走りだす」と「夜の校舎窓ガラスこわしてまわった」の本当の意味について考える記事を書いた。

その後、この件についての情報がさらに欲しくなり、何か資料はないかと検索したら、『盗んだバイクと壊れたガラス 尾崎豊の歌詞論』というそのまんまなタイトルの書籍がヒットした。読んでみると、2つの歌詞に関する大枠の理解は自分と同じだった(※1)。

だから『15の夜』と『卒業』についてはスッキリしているのだが、この本ではその後に『I Love You』や『Oh My Little Girl』などの解釈が出てくる。特に『I Love You』の方は衝撃を受けたので、まとめておきたい。

1番 なぜ悲しい歌を聞きたくないのか

I love you 今だけは悲しい歌 聞きたくないよ
I love you  逃れ逃れ辿り着いた この部屋
何もかも許された恋じゃないから 二人はまるで 捨て猫みたい
この部屋は落ち葉に埋もれた空き箱みたい
だからお前は子猫のような泣き声で woo woo woo
きしむベッドの上で 優しさを持ちより きつく躰 抱きしめあえば
それからまた二人は目を閉じるよ 悲しい歌に愛がしらけてしまわぬ様に

まず1番の歌詞を引用した。これが恋の歌なのは間違いないだろう。しかし、「I love you」という甘い言葉で始まるのに、淋しげな言葉ばかりが並んでいるのがひっかかる。

これまで、深く考えずに聞いてきた限りでは「駆け落ちみたいな歌だな」という印象だった。<何もかも許された恋じゃない>ので、<逃れ逃れ辿り着いたこの部屋>で愛を確かめあっているのかな、という解釈だ。

引っかかるのが、<悲しい歌を聞きたくない>というフレーズが2回登場するところだ。二人の置かれたシチュエーションが駆け落ちだとしたら、愛はまさに燃え上がっている真っ最中だ。<悲しい歌>を聞いた程度で<愛がしらけて>しまうだろうか
このことについて、書籍では以下のような解釈がされていた。

それは多分、<悲しい歌>が二人の行く末を予言しているように聞こえるからなんでしょう。つまり、<I love you>と言っている一方で、この二人はどこか別れる予感のようなものを抱いている。
(中略) <悲しい歌>という作り物に、自分たちの現実の愛は負けてしまうくらい弱々しく微妙なんですね。

そう、実はこの恋愛は、破綻寸前なのだ。

2番 触れられぬ秘密とは

I love you 若すぎる二人の愛には 触れられぬ秘密がある
I love you 今の暮らしの中では 辿りつけない
ひとつに重なり生きていく恋を 夢見て傷つくだけの二人だよ
何度も愛してるって聞くおまえは 
この愛なしでは生きてさえゆけないと woo woo woo
きしむベッドの上で 優しさを持ちより きつく躰 抱きしめあえば
それからまた二人は目を閉じるよ 悲しい歌に愛がしらけてしまわぬ様に

さて、2番の歌詞は意味深である。<触れられぬ秘密>とはなんだろうか。ここで書籍の方では、尾崎の創作ノートにかかれていた、『I love you』の原型になるような詩が紹介される。これが衝撃だった。

彼女と深く恋におちたんだ
なにもかも ゆるされた恋じゃなかったけど
ある日 あの子に 出来ちまったんだよ
二人の愛の 無力さに 泣いたよ
彼女は まだ夢見ていたけどね
無茶すると 傷つくだけっていったじゃない
大人がいうよ
二人の愛の問題さ 口出しはやめてくれ

つまり、中学生や高校生のカップルが望まぬ妊娠をしてしまったというストーリーだ。もちろん、このメモの内容がそのまま『I love you』に込められているという証拠は無い(※2)。しかし、秘密=妊娠と考えると、歌詞の全体像がすんなり理解できてしまうのだ。

<今の暮らしの中では辿りつけない>というのは、子どもを育てる暮らしにたどり着けないということだろう。きっとまだ高校生ぐらいで、子どもを育てられるだけの経済力も無いのだ。

だから<ひとつに重なり生きていく恋を 夢見て傷つくだけの二人>になる。この子どもを産めたらいいのに。一緒に生きていけたらいいのに。

でもそれが出来ないとわかっているから、1番で表現されたように、別れの気配が漂っていて、悲しい歌を聞いただけで愛が醒めてしまいそうなのだ。

彼女は何度も「愛してる?」って聞いてくる。だから「I love you」とささやく。きつく躰を抱きしめ合う。そうやって、何とか愛の盛り上がりを維持しようとする。破綻がすぐそこに迫っていると気づきながらも。

まとめ

I Love Youは、望まぬ妊娠によって破綻寸前となったカップルが狭い部屋に駆け込み、破綻の予感に抗うように愛を確かめあっている、そんな光景を歌っていると解釈することができる。もちろん、それが正解なのかはわからない。個人的には、書籍で紹介されていたノートの詩は決定的なものに見えるが、別のメッセージが込められている可能性もある。




※1 もちろん、自分の解釈よりも丁寧で、裏付けも豊富だった。時間があれば、元記事に追記をしておきたい。

※2 書籍では妊娠というのも一つの仮説にすぎないというスタンスをとっている。だが、『愛の消えた街』でも、<子供も産めない世の中の解らぬ二人にいったいどんな愛が育てられるとゆうのか>という歌詞があったりする。尾崎にとって身近なテーマだったのではないだろうか。