巨星を共同して輝かせること(石塚真一のマンガ『BLUE GIANT 』について)
サックスの演奏には不可欠なリードと呼ばれる器具がアップで描かれた冒頭の1コマから、5つのコマを使って、詰め襟姿の男子高校生の演奏準備の様子が、印象深く描かれてゆく。石塚真一の長編コミック『BLUE GIANT』の最初の1ページの場面である。最終コマでは、サックスとサックスに添えられた高校生の左手が描かれた絵に、高校生自身の声が重なる。「世界一のジャズプレーヤーに、なる」。素朴すぎる決意表明に赤面しそうなものだが、そのような凡庸な反応を忘れさせてしまうところに、この作品の強さがあるようだ。この作品は、なんというか、散文的な歴史の拘束を、軽々と超えてしまうのである。1971年生まれの石塚真一にとっては、「状況と音楽」という命題は、ほとんど無きものに近いのかもしれない。
1956年生まれの奥泉光にとっては、「状況と音楽」という命題は、ほとんど背中に張り付いているような感があって、そのことが『BLUE GIANT』の主人公宮本大が謳歌している幸福感から遠ざけている。そのことによって、奥泉は不幸な聡明さを身にまとう。奥泉にとって、ジャズは呪われた幸福とでもいった厄介な存在である。奥泉には「その言葉を」というジャズ小説があって、主人公飛楽俊太郎は、宮本大と同じようにジョン・コルトレーンの熱狂的なファンであり、テナー・サックス・プレーヤーである。そしてこの作品は、「遅れたジャズマン」飛楽の姿が、語り手「ぼく」の眼を通して語られる。作品自体が飛楽と「ぼく」の間で分裂しているのに並行して、作品の色調も暗く苦い。
「ぼく」(あるいは奥泉)は、ジャズの歴史をあまりに明晰に認識している。ここまで明晰であると、表現はほとんど不可能である。だから、当然、奥泉の小説は、表現というよりは表現に対する冷めた意識という性格のものとなる。むろんのこと、歴史を認識し理解するには冷めた散文意識が不可欠である。奥泉は詩を羨望する散文家である。
それに対して宮本大は、詩に愛され、詩の庇護を受ける特権的なバカ者である。大の最大の才能は、この一点において際立っている。大というキャラクターは、80年代のシニシズム、そして90年代のバブル崩壊後のささくれだった平成日本の状況下で、詩をなんとか生き延びさせようと、宇宙の果てから、地球に送られてきたファンタジーの神の息子ではないのか。作品タイトルのBLUE GIANTとは、「あまりに高温なため、赤を通りこし、青く光る巨星。青色巨星」のことであり、大の仙台時代の師匠であるかつての名ジャズプレーヤーは、「若い頃仲間内で、世界一輝くジャズプレーヤーをブルージャイアントと呼んでいた」と作品のテーマを解説する。
とはいえ、力点は「世界一輝くジャズプレーヤー」にあるのではなく、地上に芽吹いたファンタジーの芽をいかに潰さずにしておくかという共同作業の実践にあるのではないか。個人的にはそう思う。大という巨星は、輝きの媒体としてあるのではなく、ファンタジーの磁場に人々を誘い込み惹きつける引力の媒体としてある。じっさい、大の周囲には「善意の人たち」が次々と集まって来る。リード数を上乗せして渡す楽器屋の主人。セルマーの高級サックスを安い給料から36か月のローンで買い与える兄。学園祭で大の演奏にピアノで付き合う老音楽教師。天才ピアニスト雪祈に引き合わせ、なおかつ彼らに練習場を提供するジャズバーの女店主。数え上げていけば数え切れないほどの様々な味のあるキャラクターが、「ブルージャイアント・プロジェクト」とでも呼べるようなこの壮大なファンタジーの実現のために手を貸し、手柄を誇るでもなく、さりげなく舞台から去ってゆく。
個人的には、ドラマーの玉田のキャラも好き。大の高校の同窓生である玉田は、入学した大学の所属するサッカーサークルのユルい雰囲気に馴染めず、そこに漂うシニカルなニヒリズムに蝕まれることを本能的に回避して、大と雪祈と活動を共にする。初心者である彼が、幼児のドラム教室に通って練習する光景はなんともおかしい。
このように多くの善意ある人たちが大の周囲には集まってくるのである。この点は、奥泉の「その言葉」が、主人公を世界から残酷に孤立させていたのとは好対照である。
ところで、ファンタジーという言葉を連呼したが、その理由は、この作品がまったりと広がる日常的なニヒリズムに、良くも悪くも背を向けているからである。ほんとうは終わりなき日常をいかに生きるかというシリアスな問題も世の中には確固として存在するわけだし、それに究極的な解決策があるわけでもなく、だから不条理に悪と暴力が炸裂する世界にわたしたちは生きていて、そのようなやるせなさに対する感性は奥泉の「その言葉」から読む者に伝わってきた。
最終回を迎えた『BLUE GIANT』は、その続編が『BLUE GIANT SUPREME』として連載が続けられ、さらに『BLUE EXPLORER』『BLUE MOMEMTUM』へと継続され、大河ドラマと化している。
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