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般若心経とテクノと「ぼく」

どうも、Dogaです。

ぼくはよくテクノやEDMを聞くことがあります。決してこのジャンルに詳しいというわけではないのですが、たまにお酒を飲みながら、ヘッドホンで爆音で流して、身体を踊らせながら気分を上げることがあります。よく聴くアーティストは、Charlotte de Witteや、Amelie Lens、Miss Moniqueです。

今日、このテクノという領域にとんでもない分野があることを知りました。それが、「般若心経 x テクノ」です。

仏教の般若心経を、テクノと合わせて唱えるなんて、なんてぶっ飛んだ考えでしょう。ただ、これが聴いてみると、ものすごく良い感じでハマっています。

ぜひこの動画を観てみてください。

テクノの人間離れしたデジタルな音作りと、空気のように全体を包み込む音の伝導、そこに畳み掛けるように放たれる般若心経の経典がとんでもなく"神々しく"聞こえます。仏様なんですが。

今日、YouTubeのフィードを眺めていると、たまたま目に飛び込んできたのがこの動画でした。聴いてみるとものすごく心地よく、「こんな音楽?があるんだ!」と少し興奮しました。

と同時に、聴いていると子供の頃のとある思い出が読みがえり、少しノスタルジックな感情に襲われてしまいました。何でなんだろうと考えたのですが、この理由は般若心経にあります。

ぼくの家庭は決して宗教深い家庭とは言えませんでした。多くの日本人と同じように、慣習的に神社にも行くし、お墓参りにお寺にも行くし、かと言って家で何か必ずお祈りをする、というような習慣も何もありません。習慣、儀式と言えば、食事の前の「いただきます」と「ごちそうさまでした」くらい?(笑)

ただ、僕が小学3、4年生くらいの頃でしょうか?一時期から母親が、毎日、特別に用意した箱に炊きたてのご飯を盛り、線香を炊いて、なにかお祈りのような「唱」を発するようになったのです。

ぼくも当時は子供ですし、特になにか怪しがることもなく、「あーなにか母親が始めたな」くらいに思ってましたし、それが毎日続くと、特に不思議に思うこともなくなってしまいます。ただ、実はあの時母親が唱えていたのは般若心経だったことを後になって知るようになりました。

母親は毎日、ぼくらが学校から帰ってくる少し前の時間帯で、お供えのスペースを前に、般若心経を唱えていたようです。というのも、たまに早く学校から帰ることがあった時には、般若心経を唱える母親を目にしたことが何度かあったからです。ただ、特にそれに対して当時母親に何をしているのか問い詰めることもなかったかと思います。

ここでいきなりですが、実はぼくの父親は、ぼぐが小学2年生頃に重病を患い、それ以来ずっと下半身不随のために施設で暮らしています。それもあり、その頃から実質母子家庭に近い生活環境でした。決して裕福とも言えません。むしろ貧乏だったと思います。

母親もかなり苦労していたと思います。ぼくは3人兄妹で、母親はぼくたちを食わせるために相当苦労していたはずです。今思うと本当に感謝しかありません。

ただ、こうやって振り返ることがあります。「なんで、母親はあの頃急に般若心経を唱えるようになったのだろう?」と。

今でもその答えはわかりません。直接聞いたこともあったような、なかったような。ただおそらく、相当苦労している中、「何かにすがりたい」という気持ちがあったのかな、と思うようになりました。

ぼくは仏教のことはよくわかりません。特定の宗教に対してなにか強い思い入れがあるわけでもないからです。母親が今もそれを続けているのかもわかりません。お供えは変わらずしているようではありました。

ただ、この仏教テクノを聴いていると、あの頃の母親が唱える般若心経が舞い戻ってくるようで、少し不思議な感覚に陥ったのです。当時は全く訳のわからなかった、ただの音でしかなかった「まーかーはんにゃーはらみーたーしんごーさいぼー(と当時聞こえていた)」という経典の一節がなぜかフラッシュバックしてきました。

この仏教テクノは、ぼくにとって神々しくもあり、なぜか少し切なくもある、決して当時に戻りたくもないけれど、戻れもしないことへの寂しさもある、ただ、高揚感も与えてくれる、不思議な音楽だったのです。




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