スタジアムやアリーナのあり方、というお話

皆さんの地元にあるスタジアムやアリーナは快適に過ごすことのできる、居心地の良い空間ですか?

この答えに「No」という回答になってしまうのは「体育施設」だからではないでしょうか。たまにありますよね。「誰のために作られたのか分からない」施設や設備。

スポーツ庁の立ち上げから、日本体育協会が日本スポーツ協会に名称変更を行うなど、日本の中でも「体育」と「スポーツ」の切り離しや切り分けが進んでいます。

簡単に言えば、これまで当然のように考えられていた「学校教育」の中から娯楽としての「スポーツ」を切り離し、教育の範疇にある「体育」とは切り分けて考えられるようにしましょう、ということです。

おそらく、その話を全くの無関係な方々は「なんのこっちゃ」という風に聞こえるかもしれませんが、当事者たちにとっては大きな問題なんです。

スポーツの根本は「娯楽」であり、「遊び」です。

「前ならえ!右向け右!回れ左!ぜんたーい、進め!」などといった号令に合わせて動く集団行動を学校体育の時間に取り組んだことがある人もいるのではないでしょうか。

「スポーツ」の中で、そういった軍事教育的なことを求めるものはありません。

調和と同調度合いを評価基準にするアイスダンスやアーティスティックスイミング(シンクロナイズドスイミングから名称変更)のデュエットなどは「他人動きを合わせること」を求められますが意味合いが異なります。

もちろん、学校体育の中に組み込まれてきたからこそ、その中の教員の人たちが頑張ってきた背景があります。その中で、せめぎ合いは生じてしまうでしょうが、そもそも求められるものが異なる以上は時間が遅いか早いかの違いになるでしょう。

そして、これまでの「学校単位」のものから「地域ぐるみ」のものへスポーツを昇華させる意味でも、早々に切り分けを行うべきだったのかもしれません。


では、スタジアムやアリーナ、体育的に言えば競技場や体育館ということになりますが、それらは「体育」と「スポーツ」の間で切り分けたらどんな変化が訪れるのでしょう。

わかりきっていることですが、言葉が変わりますよね。体育館はアリーナへ、競技場はスタジアムへと変わります。

この変化は決して小さいものではありません。

冒頭で触れたように、体育施設の場合、競技をすることのみに主眼が置かれており、そのほかのことには気を使われていないケースがほとんどです。

まさに体育施設であり、観戦をする楽しみを助長したり、観戦に伴ってパーティーを主催するなどということは一切考慮されていません。

どういうことかというと、使用目的が「競技のみ」となってしまっていること、それが問題だということです。

例えば、みなさんが何か物を買ったとしましょう。なんでも構いません。日用品や家具、家電。色々とあると思いますが、それらは日常、使うことで生活を快適に行うことが目的ですよね。

包丁を買うのは調理を快適に行うためであり、棚を買うのは物をしまって置けるようにし、床にものが積まれてしまって不快な生活を送らないためです。

では、その包丁が人参しか切れない包丁だとしたらどうでしょう。それは行き過ぎか。野菜しか切れない包丁だとしたら。

もちろん、肉用と野菜用で使い分けてらっしゃる方もいるとは思いますが、そうではなく、汎用性が高いと思って買ったのに、肉を切ろうと思ったら一切切れない包丁だとしたらどうでしょう。

せっかく買ったのにもったいないです。包丁を買うことで調理の自由度を高めるはずが逆に負自由度が生じてしまうことは望んでいたこととは違うはずです。

いわゆる体育施設、というのはそういった趣があるのかもしれません。

箱物として「競技のみ」をすることだけ考えられた施設の場合、地域ぐるみでその「場所」を利用しよう、ということにはなりづらい。なぜなら、場所の利用目的を限定されてしまうからです。

あんなに大きな建物なのに、他に使い用途がないというのはもったいない。

そして、もっと大切なことは、その競技が好きではない、興味がない、関係がない人は入りづらいし、入ったとしても不快に感じてしまうことです。

経験がある方もいらっしゃるかもしれませんが、競技をしている場所というのは独特の雰囲気がありますし、そこに興味関心がなかった人が入ろうとはちっとも思わないし、思えない環境でもあります。

そこをスタジアムのあり方を少し変えるだけで、そんな人たちがフラッと立ち寄れるような「場所」であればいいと感じるのは僕だけではないと思います。

馬場渉さんはNewsPicksの連載の中で、49ersのスタジアム事例などを紹介しています。

その中で触れている一節は、日本の体育施設としての競技場とは大きくかけ離れたものになっています。

Gideon Yu氏の奥さんはアメフトは好きじゃないそうです。でもスタジアムで子どもたちとの記念に残るような「体験」は、大好きだと言います。日本における「スタジアムはこうでなければいけない」というのは本当に「ユーザー」の視点が反映されているでしょうか?

例えば、イオンモールの中にサッカースタジアムやアリーナがあったとしたらどうでしょう。

アウトレットモールの中にボールパーク、つまり野球をする場所があったとしたら。

それだけでも、その競技自体に興味関心がない人は敷居が下がるように思えます。

なぜなら「競技をする人たちだけの場所ではない」から。

MAZDA Zoom-Zoomスタジアムの設計をされた上林 功さんは実務者としてこれまでのスタジアムやアリーナからの脱却を説きます。

「これはスタジアムも同じだと考えています。スタジアムがスタジアムとしての機能、野球を見るだけの施設であってはいけない。そこに住んでいる人たちによって、単なるスタジアム以上の意味が与えられる存在になること。スタジアムが都市の一部、社会の一部になることが大事だと考えています」

馬場渉さんも上林功さんもおっしゃっているのは、スポーツにまで領域を広げたスタジアムやアリーナの話で、もっと言えば、スポーツを飛び出して一般社会の中にどう溶け込ませるのか、という視点で考えられています。

こういった意味でも、スタジアムやアリーナを「体育施設」としてではなく「ビジネスの場」や「交流の場」など、範疇をさらに社会的にしていくことで、そもそもスポーツの捉え方もこれまでとは異なった視点で見ることが可能になるのではないでしょうか。


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