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会社と湯婆婆(ゆばーば) 2

前回からのつづき

前回は、以前に書いた記事内容に触れながら、時間や技能を提供し、その対価として給与をもらう会社員は、個人での名前を良くも悪くも消失させるのが会社員。

それは湯婆婆が女の子から名前を取り上げ、千と名付け働かせることと同じ構図だなぁ、とは思いながら、最近は個人が際立つことから会社に貢献できる事も増えてきましたね、なんてことを書きました。

前回の文末で触れた大航海時代は、世界初の株式会社となる東インド会社が設立された時代。

この東インド会社の説明は、下記のリンク先が簡単にわかりやすく説明してくれるので、よければご覧になってください。他の情報も簡単ではありますが、書いてくれているのでオススメ。

下記はサイト内からの引用。大航海時代に生まれた東インド会社が、なぜ歴史に残るような会社になったのか、という起源を知ることができます。

当時は、航海に成功してアジアに無事たどり着き、アジアの香辛料をヨーロッパに持って帰れれば、莫大な利益が得られた。だけど、船をつくるには、巨額のお金が必要だったし、航海の途中で難破したり、海賊に襲われたりと、危険が常につきまとった。せっかく大金をつぎ込んでも、まったく利益にならないかもしれなかったわけだ。

そこで、もし船が災難に遭ったとしても、お金を出した人の一人ひとりの損失をできるだけ小さくできるよう、少数の人がお金を出すのではなく、大勢で出し合おうという考えが出てきた。そのため発明されたのが、株式だったんだ。

実は、保険が生まれたのも同じ時代。というか、株式の流れを踏まえた上で生まれてます。

香辛料を得ることで莫大な利益につながることがわかった人たちは、誰か一人の資金ではなく、多くの人たちから資金を募ることで、個人が抱える資金的なリスクを分散させました。

無事に船が香辛料を積んで戻ってくれば、それに応じて利益を得ることができるというわけですね。その同じ考えで海上保険がうまれていて、貿易商たちの資金的なリスク分散を仕組み化したものが保険です。

株式の場合は、投資した人物に見返りとして利益をもたらし、保険の場合は資金を出した人間が損失を出した場合に補填することを目的にしていて、それだけの違い。

いってしまえばギャンブルなわけですよ。保険も株式投資も。

せっかくなので橘玲さんの記事も貼っておきますので、興味をお持ちになった方は、是非本も読んでみて下さい。おすすめ貼っておきます。

ここから無理やり話を戻すわけですが、この大航海時代に個人名で勝負できるのは、投資家レベルで言えば貿易商たちですし、プレイヤーレベルで言えば船長なわけで、船員なんてだれも知らないわけです。

過去に航海を成功させたことがある船や、その船長は立ち所に有名となり、次に航海へ出る際にも資金調達がしやすくなるでしょう。それはつまり、船の増改築はもちろん、船員の増強を図りやすくなります。

有名で大きな船には多くの船員(労働)希望者が押し寄せますので、仙人となって働くことができるのも限られた人数になります。

もしかしたら、街なかで「お前、あの船に乗ってるのか!?すげぇじゃん!」といった具合に、乗船する船がステータスになっていたことも考えられます。

そんな光景を想像すると、現代と対して変わらないかもしれません。

大きく著名な船(組織)に入ることで、「その人が」というわけではなく、「その船(組織)が」有名だからということです。だからといって、その一船員であるその人が何かを成し遂げたわけではないわけです。

もちろん「何もしていない」ということではありません。

その人は船(組織)が航海を成功させる(利益を出す)ために必要な人員だったのですから。ですが、同時に「船を代表する人物」ではありません。

船の中で確実に実績を積むことで、船員たちを束ねるポジションになることができるかもしれませんし、お金の管理を任されたり、荷物の取捨選択をするポジションに就くことができるかもしれません。

さらにさらに、そのポジションで確かな実績を残し、船がアジアからの香辛料を持ち帰ることに貢献することができれば、船の中だけでなく、他の船長たちからも声がかかるようになるかもしれません。

そうなると、船の名前と同時に個人名が出てくるようになります。通り名みたいなのも出てくる人もいたのかもしれませんね。麦わらのルフィとか、赤い彗星のシャアとか、リバウンド王 桜木みたいな。

でね、そこでぼくは思うわけです。

「特殊な人たちじゃん、それ。」

いわゆる持たざる者である自覚を十二分にしているぼくだからこそ、何かしらの特殊スキルと思しきものを身につけており、その通り名を得ることができている人たちは羨望の眼差ししかないわけですよ。

だからスネ夫に肩入れし、カイ・シデンに共感するんです。持たざる者の性なのかもしれません。けどね、思うんですよ。

その仕事を好きで、好きなことだけを突き詰めてできてる人なんて、そう多くはないんだよね、なんてことに。苦しんでるともいえます。

船員たちは、いわゆる労働者な訳です。自分がやりたいと思ってやっていたのかといえば、いたとしても少数だろうことは想像に難くありません。

当時の生活は非常に貧しい時代。募集をかければ、食い扶持に困らないためにいくらでも船員に名乗りをあげる人間がいた、ということは調べるうちにわかりました。

現代のぼく達と"生活をするための仕事"、なんて観点で見たときに、なにが違うのでしょう。ぼくは大した違いがあるようには思えません。彼らは生きるのに必死だったから水夫になった。

当時よりも、ぼく達は生きることに関して不安を覚える機会は少なくなりました。そのために色々と考えることができるようにもなりました。ただ、その”考える”なんてことが邪魔してるのかもしれません。

友人や知人と自分を比較し、「あーでもないこーでもない」と思いながら、少しでも自分の将来が有利な状況になるように、勉強や仕事をする。

少しでも高い目標値を設定し、それに向けて邁進する自己啓発を繰り返し、結果として、周りが「羨ましく思う自分」を追い求めてしまうがために、「自分を養うこと」ができず、どこにたどり着きたいのかを見失ってしまう。

少なくともぼくはそうでしたし、今でもそうなのかもしれません。無名の個人だとしても、名前(クレジット)は間違いなくあるわけで、それを大切にしたい。

そのためには「未来のために」がんばるんじゃなくて、「いま」をがんばらなきゃなりません。がんばる、というのはおかしな言い方です。こだわりを持つべきだ、と言い換えます。

いまの生活や仕事に対し、少なくとも「もっと良くなるはず」とか「もっとこうしたら楽になるかな」とか「もっとキレイに見るためには...」とか。

それぞれに抱える「こだわり」をもっともっと、のめりこんでいくことが必要で、それが結果的に自分の名前を出すことに繋がるのだと実感したからこそ、こんな風に書いてます。

そのこだわりを考える時間や、実際に手を動かし、そのこだわりを実現させるための時間を設けた結果、突き抜けている人たちがいわゆるインフルエンサーなんて呼ばれる人たちなんでしょうね。

程度の差こそあれ、ぼく達も似たようなことができる、というか、日々の生活や取り組むことに対してこだわりを持つ、ということは誰にだってできるはずです。

それは朝に誰かにあった際に「おはよう」と伝えることができるのと同じぐらいの難易度かと。

会社や湯婆婆に名前を取られたとしても、仕事をするという時間もそうですし、それ以外の時間もそうです。

こだわりを持って生きること、自分自身を養うこと。これが自分の名前をきちっと出すための必要条件。こだわりを持って、今を生きましょう。

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