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育休や時短勤務に関する風潮(前提)から感じた男性目線の"やさしさ"の欠如

先日、子どもたちを連れて遠出をした際に、妻と長時間話す機会がありました。

いや、誤解を与えたくないので丁寧にいうと、基本的にぼくと妻はできる限り時間を設けて話すようにしています。

話の内容は、どうでもいい内容の時もあれば、子どもたちとの向き合い方や接し方、言葉のかけ方など「家族的な内容」な時や、今回のような「社会的な現象」などについても触れる機会もあったり。

我が家の妻はタイトルにつけている「育児休暇」や「短時間勤務」を取得してもらいながら、我が家では生活をしているため、議論とまではいかないけれど、それなりにそれぞれ意見を出し合い、互いの認識を確認してきました。

それは、一度きりではなく、都度、確認しているような状態でもありますので、ベースラインとしては変わらないまでも、状況によって変化することもあるかなぁ、といったところ。

その話の延長、いや、場外戦みたいなもので、ある友人が職場内での"いじめ"とまではいかないまでも、同僚先輩からかけられる「短時間で勤務するのであれば......」と仕事を放棄されるような態度・圧力と、パートナーからの理解が足りていなかったがために、その友人が「望んで入った職場」を退職することになったことに端を発し、再び、この話題について話すこととなりました。

記事を公開した直後に小泉進次郎さんが育児休暇(育児時間の確保)をすると報道がありましたが、どう考えているのであれ、このように実践する姿勢はいいとは思ってます。


男は......女は......

悲しい気持ちになったのと同時に、無力感みたいなものも抱いたのですが、それだけでなく「いつまでも男尊女卑的な認識ってあるんだな」と残念に思う次第なのです。

もちろん、この一例だけを持って、このように書いているのではなく、未だに「男は仕事をするもの」で「女は家庭を守るもの」みたいな認識は薄れつつあるものの、根深く残っているのだと痛感する機会になった上に、それは「男性的な目線」で物事を見ている姿勢であり、そこには「やさしさ」が内蔵されてないな、と物悲しい気分にもなってしまいます。

だいたいの「育休」がポーズ

ぼくは現在、いろんな媒体で目にする育休を取得した「男性側の意見だけ」を載せているものは「ポーズ」、つまり内実を伴わない見せかけだけで、取得をした・させたことに対する利己的な思考の表れだとすら思っています。

結論的に言えば、育児休暇中の取得者を評価するのは誰かと言えば、子どもの母親である奥さんです。特に授乳中の乳幼児を相手にしている母親に対しては、何をしたところで敵わない、とぼくは考えているのですが、奥さんに対して率直に意見を求めるべきで、奥さんも正直に答えるべきでしょう。

「全然役に立たなかった」と。

仕事の都合をつけて2週間......誰のための育休?

育児休暇でいえば、2週間だとか1ヶ月だとかって期間はそれぞれの組織が内規で決めたものであるため、期間については置いておきます。

問題なのは、「仕事の調整をして2週間」なんて「なんとか都合をつけて休ませてもらいました」と語られる"育児体験"をした男性がいること。それだと「夏休み」や「GW期間」などの長期休暇を取得するのと、なんら変わりないじゃないですか。

都合をつけるな、と言いたいのではなく、女性側は都合をつける・つけないに関係なく、「年単位」「月単位」で職場から離脱をする強いられるのであり、育休を取得する女性の後任は、仕組み的に業務を行うべきであり、そうあって然るべき。

育児体験ではなく、役割の確認・再認識

そもそも、それができていないのにもかかわらず、育児休暇など取得はできないはず。たとえば、2週間なり業務都合をつけて休んだとして、育児にどれだけ没入するのかが気になります。「大変だなぁ」で終わってしまっては元も子もありません。

そもそも、育児休暇を取得した男性がすべきは、2週間だけの「育児体験」ではなく「子育てにおける役割の確認」のはず。

「夜中も泣いて大変だ」とか「泣いたら抱いてとりあえずミルク」とか「おむつの替え方.......わからん」みたいな状態から脱し、1日でも早く予防接種の予約などを含めた没入した役割を持たなければならない。

なぜなら、子どもは女性だけが願ったからといって産めるものではなく、そこには必ず相手がいるから。(技術的にそれが可能だ、というのは十分承知している。今回は、夫婦の間に子どもがいる家庭を想定し、話を展開している。)

二人の間に生まれてきた幼い命は、大切に思われるべき存在であり、保護されるべき存在であり、やさしくされるべき対象で、それを片側一方にだけ押し付けていい理由は一切ありません。

ましてや、男性側でいえば、自らの体を痛めるも何もない中で、女性に「産んでもらう」のを期待する他にない生き物なわけですから、たとえば、稼ぎが多い・少ないで、どちらか一方に偏らせて負担させていい理由にもなりません。

だから何もしないのではなく、だからこそ、没入して自分の役割を獲得できなければ父親を名乗ることなど愚行以外の何者でもない、とつい考えてしまいます。

子どもと生活をする男性は短時間勤務の女性を軽視してはならないし、できない

先に触れた稼ぎが多い少ないで育児面における負担を押し付けるのであれば、同じ条件でなければ不平等なわけで。

1日8時間で勤務している人間と、残業までして12時間働く人間、そして短時間勤務で5時間ほどしか働かない(働けない)人間の間に、業務成果についての差があったとして、それを同一条件として評価できるような仕組みがなければ、そもそも評価自体ができないはずで、してはいけません。

唯一比較できるものが「時間」だというのであれば、その時間に対する時給換算をすべきだし、時給換算自体が成果物(たとえば売上)から換算されてくるべきもの。

「長時間働けるのが前提で8時間勤務している」人間と、「5時間しか勤務できないのが前提」の人間で、同じ成果物・生産性であれば、明らかに後者の方が優秀です。

世の中の子育て世代の女性がとっている短時間勤務は基本的にこれであり、男性側でこの指標の上で成果を出さなければならないとなった場合に、短時間勤務をする女性に対しての見方を丁寧に考えるべきだ、とぼくは考えます。

また、「短時間勤務だから」といって雑務ばかりを押し付けるのも、職場でのハラスメントだと言えるのかもしれません。本人が何を望んでいて、その職場的には何を達成したいのかが明確になっていて、そういった話まで済んでいるので問題はないだろうが、多くの職場でそれをできているとは思えない。

「短い時間で結果を出す」のは難しい

これがいかにして困難な状況なのかは、制限時間を決められる中で生活をするのと一緒で、非常にストレッサーの高い状態と言え、常に結果の出せる優秀なビジネスマンはいいのかもしれませんが、そうではない男性、特に「時間(残業)」で身銭を稼ぐ・増やすことを実践してしまっている人たちは、いつまでその働き方ができるのか、子どもの成長度合いを見て考えてみてはどうでしょうか。

もちろん、いまはナニーとは言わずとも、育児サービスを提供してくれる事業者も増えてきましたし、それを利用すればいい、とも考えられます。その考えは家事代行サービスでも同様で、いかにして家事の時間を削減し、子どもに充てるのかを考えるのも親の役割の一つかもしれません。

それでも、子どもとの時間は「あっ」という間です。

我が家の長男も生まれてきてから6年が経過し、小学生になってしまいます。その間に、「子どもとの時間は儚いもので、すぐに消えてしまうぐらいに希少なもの」だと考えられなかったら、どう接していたのか想像もできません。

立場として「父親」の役割を与えられている男性で、奥さんが短時間勤務をしている場合、逆の立場であることを想像してみるだけでも、大きく感情的に異なるものが湧いてくるように思いますので、お試しください。

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