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転職によって賃金が上昇することに思う”当たり前”なこと

どうも、ゑんどうです。

日経に『転職で賃金上昇率2.8ポイント拡大 仕事の意欲も改善』といった記事が出ていました。

内容は、転職によって賃金が上昇するため仕事への意欲も上がるよね!って転職に向けて前向きな捉え方をするもの。記事の元ネタは内閣府が出した「令和4年度日本経済2022-2023- 物価上昇下の本格的な成長に向けて -」

出典)内閣府「令和4年度日本経済2022-2023-物価上昇下の本格的な成長に向けて -」

日経の記事、ひいては内閣府の資料を閲覧し改めて転職によって賃金が上昇するってことは、仕事への意欲も上がるという前向きな捉え方をすることになるのだと当たり前なことを実感した次第です。

社会人にとって賃金が上振れするってことは、自分自身の働いた努力や過程、成果を認められるってことになりますからね。賃金が上昇しても仕事が楽しくなければ意味がないとは思わないものの、転職によって懐に入ってくる身銭が増えることってのは素直に嬉しいですよね。

転職をして賃金を引き上げる人がいるってことは、自社から離職していく人がいる企業があるわけで、その人たちはどうしたらいいのかってことを余計な思考実験だとはわかっていながらやってみたいと思います。

■ 離職されたくなければ条件を整えるしかない

優秀な人材が会社を離れる選択をとることは企業にとって大きな損失です。

「会社は人である」と誰がいった言葉なのかを調べる気にもならない言葉がありますが、ボクからすると「何を当然なことを言ってるのか」と呆れてしまいます。むしろ「会社は機械化して徹底的に合理的に運営すべきだ」と述べる人がいるとしたら、その人はこれから大注目を集める事業家になるかもしれません。

そもそも転職を考える人は会社の中で一定数は存在するものです。

過去に総務省統計局が出した資料でも、転職を希望する人たちの理由が「より良い条件の仕事を探すため」と言った回答となっている通り、そもそもいまの条件よりもマシなところを在籍しているカイシャインは探しています。

出典)総務省統計局「増加傾向が続く転職者の状況 ~ 2019 年の転職者数は過去最多 ~」

これは善し悪しでもなんでもなく、労働という時間を提供する代わりに対価として月額給与をもらう契約をしている以上、携帯電話のプランを格安SIMのブランドに乗り換えるがごとく乗り換えを検討する人がいるのは当然です。

格安SIMでも自前のプランが他社プランとは何が違うのかを明確に訴求しているのと同じように、雇用者も自社で働くことがどれだけ労働者にとってプラスになるのかを訴求できなければ選ばれるわけがありません。

会社を経営するうえで給与といった固定費が経費上の大きな割合を占めることになるでしょうが、離職されて事業が傾いたり売上が極端に下がってしまうようなリスクを抱えているのだとしたら、離職可能性がある人材の雇用条件を上振れさせるしかないのです。

■ 労使関係は対等な契約関係である

逆にカイシャインとして働く人たちの生殺与奪の権は誰が握っているのかというと、紛れもなくカイシャインを名乗る人たち自身にあります。

労働者と雇用主の間にある関係は主従関係ではなく、あくまでも対等な契約関係があるだけです。

任せたい、やってもらいたい仕事があって、それをやってくれる代わりに対価として月額でいくら支払いますって契約。これがあるだけで、生殺与奪の権を雇用主が握っているのかというと、まったくそんなことはありません。

だからと言って、カイシャインとして働く人たちに「もっとワガママに振る舞っていいんだ」と啓蒙するつもりはないし、カイシャインとして働けることは雇用主である会社が認めた証でもありますので、その点は誇りに思っていいでしょう。

しかし、転職をすることを自分の脳内から省いてしまうことはすべきではありません

たとえば、まったく同じ品質であることが証明されているユニクロの極暖的な製品を、あなたは異なる三社で見つけてしまったとしましょう。違うのは金額だけで、機能や肌感といった機能・性能面はまったく一緒だとしたら、購買を決定する要因はなんでしょうか。

金額が安ければコスパのいい買い物になりますよね。中には特定のブランドが好きだからという理由で高い金額を支払う人もいるかもしれませんが、多くの人は安くていい製品を手にしたいと思うのではないでしょうか。

仕事選びも一緒です。

会社に貢献するだとか会社のために、とか言いますが、個人の幸福を追求することと会社の業績が良くなることが連動・相関関係にあることが明確になるのならそれでも構いませんが、それを裏付ける数値的な根拠や証拠がない限り、自由に思考し行動すべきでしょう。

なぜなら労使関係は対等だから。

■ ブルシットジョブだらけの世界で生きる

アメリカの映画やドラマが好きな人には耳馴染みのある言葉として「Bullshit」があるでしょう。

「クソッタレ!」とか「マジかよ!」、「ふざけるな!」みたいな文脈で使われるものです。

それは世の中にある仕事に対しても同じ意味で使えるよねってことでデヴィッド・クレーバーが2018年に出した『Bullshit Jobs: A Theory』で初めてブルシット・ジョブって言葉が使われました。

上述した文脈通りにいうと、クソどうでもいい仕事ってことになるわけですが、この本の中ではシットジョブとブルシットジョブの二つを明確に分けています。

シットジョブというのは、クソ仕事で日本でいう3Kですね。キツい、汚い、危険の3K。ブルシットジョブがクソどうでもいい仕事で、シットジョブがクソ仕事ですから、どちらもやるべきではない仕事だと捉えてしまうかもしれませんがそうではありません。

ブルシットジョブのことをクソどうでもいい仕事だと述べる理由は、この世界にまったくなんの影響ももたらさないうえに、取り組んでいる当人もそう感じている仕事だからです。

しかし、シットジョブは違います。

シットジョブはキツいし汚いし、危険だとわかっているのだけど、世の中には必要だってことがわかっているわけです。医療の現場では自らが感染したり長時間労働になってしまうことをわかっていながらも懸命に働く人たちがいるからこそ、社会インフラとして機能しているわけです。

反面、非常にやりがいのある仕事なのだけど、対価が低かったり、社会からの抑圧的なものがあったりと大好きなのに取り組むこと自体がキツくなってくるのがシットジョブの特徴です。

では、ブルシットジョブは何か。

本の中では「報酬や社会的地位が高い仕事」のことを指していますが、もうちょっと解釈を広げてみると、多くのサービスに関わる仕事はなくてもいい仕事だと言えます。

そのサービスがあったとしても世の中に”違い”を生み出すような変化を生み出さないものってありますよね。たとえば、炭酸飲料はたくさんありますが、それらがあったとしてもなかったとしても人が生きるうえで困ることはありません。

別に否定しているのではなく、ボクたちが生きる世界ってそうなんですよね。クソどうでもいい仕事に一所懸命になっているんだってことを自覚すること、大事だと思うのです。

おわりに

ボクたちは誰もがクソどうでもいい仕事をやっているのだから、それをどこでやろうが変わりはなくって、どうやって効率的にお金を稼ぐのかを考えていった方が個人としての幸福を実現しやすくなるよね、なんて話を書いてきました。

もちろん、世の中には社会的に意義のある仕事もあるでしょうし、多くの人を感動させるような”違い”を生み出せる仕事もあるでしょう。そんなことはわかっています。

しかし、それは起業をして実業としてビジネスをゴリゴリやってのける人たちの話で、カイシャインとして企業と契約を結んで働くだけの人たちには関係のないことです。

ミッションやビジョン、パーパスとかに感動したり共感したような気がするのは仕方のないことだと思いますが、本当にすべきなのは自分が満足する生き方なはずでしょう。

世の中を斜めに見ているわけではないものの、もうちょっと身銭を高めるために転職を考える人が多くなった方がゾンビ企業が潰れることを促進することにつながるので、日本の生産性が高くなるのではないかってところから書いたnoteでした。

ではでは。

ゑんどう(@ryosuke_endo


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