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「価値観のアップデート」とやらについて

 どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。

 最近、世の中の流れ、早くないですか。

 直近の2、3年でいえば生成系AIの登場によって「仕事のあり方」や「機械との接し方」に変化があった方も多いでしょう。少し大きな話をすれば、インターネットの普及と操作端末の小型化によって、世界中の様々な考え方や生き方に触れる機会が(それを望む人たちは)増えました。

 一方で、「多様性」の一言で片付けられていますが、自分とは異なる価値観を持つ人々との関わりの中で、戸惑いや葛藤を感じることが多くなってきました。

 ただ、そこで一つ考えたんですよね。

 多様性な価値観がある中で、それに触れた際の葛藤って誰しもあるじゃないですか。ほんの少し前まではLGBTqだなんて誰もいってなかったのに、ここ5年ぐらいで急速に言われるようになって戸惑ってしまい、ついつい意図していないのに言葉が強くなってしまう人っていると思うんですよね。

 そこで、あまりにも多様性が重視されるようになった中で、どう振る舞ってったらいいんだろうね、なんてことを雑談形式で書くこととします。

いろんな「価値観」がある

 おそらく、ぼくと同年代、同世代の人たちは圧倒的といえるほどに世の中が変化していることを実感している人たちだと思います。携帯電話が小型し、E-mailアドレスを個人に付与され、インターネットにアクセスできるようになったかと思ったら、今では手元に小型の高性能なパソコンといえるスマートフォンがあるわけですからね。

 つまり、ぼくらを取り巻く環境はめちゃくちゃ変わってきました。それまでのことを踏まえると、あったこともない人の意見なんて目にすることがなかったのに、今ではSNSで「誰か」の意見やお気持ちが簡単に閲覧できるようになりました。その人が実在しているのかどうかまではわからないのに、です。

 こういった変化は、我々の下準備をさせる間もなく発展してしまったが故に、戸惑いや葛藤を産んでいるといえるでしょう。SNSで見かける自分とは異なる意見に触れた際に、どう向き合えばいいか迷っちゃうこともあるでしょうし、身近なところでいえば職場で自分とは異なる価値観で仕事に取り組む人に出会した際の接し方とか。

 ぼく自身、自分とは異なる価値観を受け入れることの大切さはわかってるつもりですが、実際に自分の信念や考え方と相容れない意見に出くわしたとき、すんなりと受け止められないことってのはあります。

 「へぇ、そういう考えもあるのか」と思いつつも、言葉や態度に表れる違和感を完全に払拭できずに変な顔をしていることを自覚することも少なくありません。

 他にも、ジェンダーや性的指向に関する話題なんて、ほんの数年前までは触れちゃいけないような雰囲気だったのに、今じゃ公共の電波に乗って広く議論されるようになったじゃないですか。

 急速に広がっているから、本質的に「そうした方がいい」というよりも「そうすべき」みたいな記号的で上澄みだけの、なんというかポーズみたいなものなのかもしれません。

 でも、思うのです。

 大事なのって、そうやって「多様性」ってメチャクチャ強くて大きな言葉を纏ってる意志みたいなものへの葛藤から逃げず、向き合い、自分なりの意見を見つけることなんだと思うのです。

自分の「価値観」を理解する

 あらゆる価値観の多様性にぶつかった経験があるから、自分自身の趣味や嗜好に気づくことができた。そう思っている方は少なくはないんじゃないですかね。

 逆に、そういった経験が乏しければ乏しいほど、対面した際の対応には差が出てくることでしょう。自分以外の人との違いなんてものはあるのが当然で、そうした「違い」に戸惑いながらも、本当に大切にしなければいけない「考え方」みたいなものは何なのか模索することが大事な気がします。

 そうやって自分と向き合わないと、自分が何を大切にしたいのかがわかりません。たとえば、ぼくは小さい頃から「人の役に立ちたい」と考えていたと記憶しているのですが、役に立たないと評価してもらえない状況だったことの裏返しでもあるといえます。

 ただ、この価値観が培われた過程がどうこうってことを言いたいのではなく、そういった自分が大事にしたいとか大切にしたいと思える価値観に基づいて判断し行動することが、何よりも自分らしさみたいなものを自覚できるのだと思うのですよ。

 簡単に自分らしさの追求とか書いていますが、これには勇気と覚悟が必要です。だって、自分の思う大事なことが眼前で否定されるようなことが起これば憤慨するでしょ。周囲にいる人たちと意見がぶつかることだってあるはずです。そうなると、揺らぎますよね。反省するし。

 なんというか、「価値観のアップデート」みたいな物言いって自己啓発的な文脈で使ってはいけないんじゃないでしょうか。

 仮に、価値観をアップデートする必要があるのだとしたら、それは自分以外の人間がどういった認識、何を大事にしているのか、何が大切なのかといった、それこそ価値観を持っているのかを把握することであって、自分の価値観を改める必要なんてありません。

 相手の立場に立って考える。柔軟に構える。これだけでしょう。

価値観の多様性を受け入れる成長

 "自分らしさ"って、要は自分が何を大事にしているのか、何が大切なのかを明白にすることです。それを明白にすることができるってことは、他人の価値観も尊重することが大切だってことに気づけるはずです。

 自分の価値観はすばらしくて、他人の価値観は唾棄すべきだなんて思想を持っている人は、人間社会から抹殺されてしまうでしょ。

 それぞれに違う背景や経験を持っていて、それぞれの価値観を形作っているんだからって話から、「多様性を認め合う」ことにつなげるのであれば理解しやすくなります。

 過去の器の小さなぼくは、自分と違う価値観を持つ人たちと接することに戸惑ってましたし、何なら自分の考えていることこそ受け入れられるべきだって考えてましたからね。ヤバいよね。怖い。

 でも、そうじゃないって教えてくれた人もいたし、完全に意見が対立してると思い込んでたのに、きちんと向き合ってみたらそんなことはなかったとか、そんな経験をいろんな人とできたからこそ、今は当時よりも多少は視野が広くすることができてるんじゃないかと思います。

 上でも書きましたが、価値観の違いは誰とでも起こり得るし、それが理由でぶつかり合うこともあるでしょう。だからって相手を否定していいわけではありませんし、相手の立場に立って考える姿勢を持つことは相手を理解する上で不可欠。

 自分とは違う意見を聞かないとか、自分の意見が絶対的に正しいだなんて傲慢を貫けるほど、自分以外の人たちはやさしくはありませんからね。

 いろんな価値観、つまり多様性ですね。これを受け入れるために、まずは自分の価値観を明白にすること。その上で、他人にも同じように大切にしたいことや大事に思っていることといった価値観があることを理解すること。

 これ以外にできること、今のところ思いつきません。

おわりに

 ツラツラと書いてしまいましたが、以上です。

 何か意見とかあればコメントでもどこかからのDMでも構わないのでいただけると幸いです。

 ではでは。

 ゑんどう(@ryosuke_endo)


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