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オリンピックやパラリンピックを目指す選手は素晴らしいけれど、その「過程」や「努力」を誰でも評価できるわけではないよな、と。

どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

オリンピック・パラリンピックを開催するか否かを、なんというか「落ち着かないな」とザワゾワする心持ちでみているボクです。

大阪では新型コロナウィルスの感染拡大防止のために聖火リレーを万博公園内で一般の観客を入れずに実施するなどしていて、果たしてここまで必死にやり続ける・やり通すことが必要なのかなぁ...なんて思ってもいます。

今回は新型コロナウィルスの話ではなく、オリンピックやパラリンピックを目指す、出場する、メダルを取る・取れなかった選手の「過程」や「努力」を誰でも評価できるのかというと出来ないよなぁ...なんて雑談です。

新型コロナウィルスを前提にした生活になってきた

最近、巷ではマンボウ(蔓延防止等重点措置)だなんだと騒ぎはじめてますが、大阪では1000人を超える感染者を確認されたことを受け、再度の緊急事態宣言を出すのではないかと言われていますね。

新型コロナウィルスとの付き合い方も、やたらめったらと消毒をしていればいいなんてものではなく、手洗いの徹底やソーシャルディスタンスやマスクの着用が大事だよってアメリカのCDC(疾病対策センター)が発表してますので、これからは日本でもマスクの着用が法律で定められる、もしくは前提での生活になっていくんだな、と実感してるところです。

「感動」の「消費」

オリンピックやパラリンピックのようなスポーツでもそうですし、映画などの作品、美術作品や文学作品など、とにかく何でもいいのですが「感動した」と言葉で表現することがあります。

では、「感動する」ことをどんな状態になることなのかを理解できているのかと考えたのですが、どうやら「感動した」と言葉にできている時点で感動できていない気がしているのです。

「感動」の意味を調べてみると、「心を動かすこと」だとされています。

感動
《名・ス自》物に深く感じて、心を動かすこと。
 「―を与える」

なんだか言葉では言い表せないけれど、心が震えることが指すということです。じゃー「心」ってなんでしょう。脳にもないし、心臓も機能的に違いますよね、みたいな話にもなるのですが、今回は置いておきます。

実は過去にもスポーツは消費されるエンターテインで終わるのかって雑談をnoteで書いていまして、お涙頂戴劇を押し売りしてしまうこと自体に嫌悪感を覚えたことから書いている内容です。

そもそもオリンピックやパラリンピックで「感動」や「元気」をもらったと表現していいのか、と。それって詰まるところは「感動の消費」で、他人の人生をまるでスナック菓子でも食べるかの如く、食い物にするような態度は随分と上から目線なのではないかと考えてしまうのです。

感動や元気をもらうことなんてできるわけがない

他人が生涯をかけて望む国際的な大会に望んだ姿で、なおかつ、そこで結果が出せた際には称賛しますが、それ以外には感動しなかったかのように一切報道されなかったりします。

先日、池江瑠璃子選手が白血病からの競技復帰、その8ヶ月後の日本選手権では出場した4種目すべてで優勝、だなんて信じられない「結果」を残しました。

池江さんの心情を理解することなんてボクにはできませんし、想像すらできません。彼女が味わってきたであろう事柄に近似する擬似的な体験なんてボクにはないのです。

そして、コメンテーターなどが画面を通して述べるのは「感動した」「よくぞ」なんて言葉を使って表現しています(番組の編成上仕方がないことだとは理解しています)が、その言葉を述べているのが「結果」を出した上で述べているのであることが前提となっていることにツラさを覚えます。

白血病を患うリスクは男性で1.0%、女性で0.7%です。

そもそも生涯でがんを患う確率は国立がん研究センターの統計によると男性で65.5%、女性で50.2%ですから、がんに罹患する割合は高いけれど、白血病となると話は別。

つまり、そもそも彼女の努力を追体験できる人の数なんて、ほぼいないわけです。それなのにも関わらず、彼女のしてきた努力や辿ってきた過程を「大変だった」などと平易な言葉で表現できるのかといえば、到底できません。できようがないのです。

つまるところ、オリンピックやパラリンピックに出場する・できるような選手の苦労や苦悩を理解できる人なんて第三者の中にいるわけがなく、それを結果が出たからと言って「感動した」などと言えるのかといえば言えるわけがないだろう、と思うのですよ。

そんな意味から、オリンピックやパラリンピックから感動なんてもらえるわけがないし、勇気や元気を一般的な生活を送っている人たちがもらうことができるのか、それを糧とできるのかというとできないんじゃないですかね。

結構、きつい言い方をしたような気もしますが、ボクはスポーツが好きです。興奮して喜んだ経験もあれば、悔しくて泣いた経験だってあります。そんな感情を上下左右に振り回してくれるスポーツが大好きです。

大好きですが、その努力や過程を安易に「感動」なんて言葉で片付けて消費していいものだとは思えないのです。なんてところで終わります。

オリンピック・パラリンピックの開催については、アスリートが活躍できる期間は限定的なので今回の機会を逃したら引退というか一線から退かなければならないって選手もいるとは思いますが、現在進行形での感染状況で実施すべきなのかどうか判断し難い以上はワクチンが行き届いてコロナウィルスとの共存が前提の社会状況になってからでもいいのではないかな、とボクみたいな一般人は思うのです。

とか言ってたらIOC会長が「開催される」って言いだしました。

そりゃ、IOCは開催されなかったとしても、損害関係を東京都に押し付ければいいだけなので「開催されればOK、開催されなくても損することはない」って立場ですからね。。

ちなみに、オリンピックの開催における契約書って、あまり目にする機会がないと思うのですが、東京都オリンピック・パラリンピック準備局にファイル提供してくれるページがありますので、ペタッと貼っておきますね。

結構、えげつない契約内容だったりするので、暇で時間のある人は目を通して見てください。

ではでは。


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