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八方美人なんて無理だから嫌われることを自覚しよう

「あの人、実は〇〇らしいよ。だから気をつけな。」

一度でいいから言われてみたいものです。陰口。いや、すでに言われているのでしょう。陰口。言われてない人がいたとしたら、よっぽど他人から関心をもらうことができない日陰者なのでしょう。

まるで自分のことを書いているようで非常に心苦しいなぁ…と思いきや、自分でもそうやってどこかしらで陰口を叩かれているであろうことは自覚していますし、誰かから嫌われているであろうこともわかっています。

嫌われたくて嫌われるのは容易ではありませんが、少なくとも他人と意見や考え方が合わないことによって偶然にも必然でも嫌われるべくして嫌われる場面なんてものは往々にしてあります。

だったら、せめてそれを自覚していた方が気を楽にして生きられるのではないかってのが今回の主題にしようっかな、と思うのでヒマな方はお付き合いください。

どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。

他人から敬われたいのなら自分から敬う

まず、自分以外の哺乳類におけるヒト科生物と交流をもつ上で必要なものとして「相手を敬うこと」が挙げられるでしょう。

自分が他人から敬ってもらいたいと考えてしまうことは、なんとも烏滸がましく、見方によっては傲慢な態度のように思えますが、最低限、相手から敬われることを望むのであれば自分から敬う必要があります。

自分は他人のことを敬っていない、敬うような態度を取ろうともしないのに、他人は自分のことを敬うべきだなんて考えは、非常に高飛車で上から目線な姿勢だと言えるでしょう。

こういった考え方をしている人は、間違いなく他人から好かれることはありませんので、結果的に周りには自分の考えを理解してくれる、もしくは、そんな人でも愛すことが出来る許容度や包容力が高い人がいるに違いありません。

他人を尊重できない人は、他人の考えを理解することもしなければ、許容し妥結点を見出そうとする努力をしようともしないでしょうから、必然的に、嫌われます。

それでもいいと力強く宣言ができる人や、そんなことを考えることもしない人は、きっと迷うことなく人生を生きていける人でしょうから、構わずに生きていってほしいと思いますが、そうではない人で、他人から敬ってもらいたいと願うのならば、自分から他人を尊重した方がいいように思います。

八方美人で誰からも好かれる人間など皆無

他人から敬われたいと願うなら自分から敬うべきだと書きましたが、八方美人として各方面によさそうな顔を振る舞ったとして、その方々から好かれるようになるかというと、話は別です。

そもそも、十人いたら十人から、百人いたら百人から好かれる人などあり得ません。たとえ、自らが聖母マリアのように万人を受け入れ、すべての人たちに自愛を振り撒いたところで、全員から好かれることなどあり得ません。

そういった幻想を抱きたい気持ちは理解できますが、誰からも悪いことを聞かない人間などいようはずがないのです。

たとえば、仕事関係ですばらしい評価を受けている男性がいたとしましょう。その人だって家庭に帰れば、パートナーから罵られているかも知れませんし、パートナーは「ウチの人なんて…」と蔑まれていることでしょう。

自分のことを評価する人なんて、人の数あれば人の数だけ見えている姿勢や態度があるわけで、100点満点で80点をつける人もいれば20点をつける人もいるわけです。

全方位的に向けて50点を取れる人はいるかも知れませんが、その人に魅力があるとは到底思えません。

誰だって、何かしらの欠点があり、人によってはそれを補ってあまりある魅力があるのでしょう。それらを統合的に判断されて付き合いを継続するか否かを決めているのが人間関係です。

誰からも好かれることなんてあり得ない

そんなわけで、誰からも好かれたり、誰からも愛されているような人間がいるだなんてこと、もしくはそういった姿を目指すことはすべきではありません。

なぜなら、現実的ではないからです。

何が現実的ではないのか。
時間が足りないのです。

ご存知のない方もいるかも知れませんが、人っていつか死にます。

寿命もしくは余命が医療技術の進歩によって延伸しているかも知れませんが、だからと言って不老不死はあり得ません。

人生は生まれた瞬間から死ぬまでのカウントダウンであって、その残り時間の中で何をするのか、何をしたいのか、どう生きたいのかを選択し続けなければならないのです。

それを前提にすると、すべての人に満遍なく愛を振り撒くことが最適なのかというと、そんなことができる時間などないことがわかります。

自分を必要としてくれる、自分を大事にしようと思える人に時間を注いだほうが有益な時間を多くすることができますし、たとえ、それが短時間であったとしても交流を持ち続けたいと思える人たちといた方が幸福に近づける気がします。

幸福度を測る指標の一つに「社会的資本」があるとされています。

これは、いかに多くの人と関わりを持つのかを指標にしたものですが、誰からも愛されることであると誤解しては行けません。母数を増やすってことであり、母数を増やせるだけ自らの範囲を広げることを意味します。

趣味や興味を幅広く持ち、それらのコミュニティーに属す数を多くすればするほど、自分に関わりのある人の母数が形成されますから、その数が多くなればなるほどに幸福に近づけるというわけです。

つまり、自分の認識や知識、知恵といった自らを拡張させる努力や訓練なくして、他人から敬われることはないってことを裏付ける数値。それが社会的資本としての交友関係だと言えるでしょう。

おわりに

そんなわけで、誰からも好かれることがないであろうことについて書いてきましたが、誰かに好かれるってことは誰かに嫌われているってことです。

正確にいうと、そう思っていないと人間関係をうまくやろうとし過ぎてしまい、結果的に疲弊してしまいます。

せっかく、人生のカウントダウンを受けているのであれば、その中で少しでも前向きで能動的な関係を築ける人たちと一緒に活発な関係を築いていきたいじゃないですか。

そんなわけで、今日も誰かから嫌われていることを念頭におきながら懸命に生きていこうと思います。

ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)


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