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合理的な人よりも間違ったお茶目な面がある人の方が信頼されるって悲しい事態

どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。

いわゆる事業を取り組んでいる人たちは、常に合理性と非合理性との狭間で悩んでおられることと思います。

たとえば、どう見ても仕事をしていないし、どう評価したとしても仕事もできなければ残業をしてまで挽回しようとしないオジさんがいたとします。ぼくみたいな。

その人を会社の経費を使って雇用し続けることは、合理的に考えれば無駄なわけです。しかし、彼にも生活があり、家族がいて、その家族のことを優先するからこそ残業ができないってことなのだとして、それを鑑みると会社って公器(公共の役にたつもの)だよねって視点で見れば、その人を雇用し続けるといった非合理的な判断も評価したくなってしまいます。

それを科学的に検証してみたってのが、ノースウェスタン大学のドリソンさんと共同研究者が出した以下の論文。

英語だと、"Staying the course: Decision makers who escalate commitment are trusted and trustworthy." なんてタイトルになっていて、翻訳機に入れてもよくわかんない感じ。だから、ChatGPTさんに「中学生にもわかるように意訳して」って依頼したのが以下。

「進んでいる道をしっかりと守る: 決断を下す人々が、一度決めたことをしっかりと続けると、他の人から信頼されるし、信用もされる」

うん…わかりやす…いな!

研究の概要と学びは後ほど触れますが、簡単に説明すると、一度決めたことを変えずに続けることで他人から信じられる人物だと思われるのかを調べたものです。たとえば、友人が約束を守り続けると、その友達を信用するようになるのかどうかを調べたものだと思ってください。

では、張り切っていきます。

研究の概要と学び

何を調べたのか

一度決めたこと(例:プロジェクトや計画)を変えずに続けることを「コミットメントのエスカレーション」というそうです。「一度決めたらやり通す!」です。この研究では、そのような行動がどうしてよく見られるのか、そして、それがどう信頼されるかを調べたものです。

どうやって調べたのか

ドリソンさんらの研究グループは、3,888名を対象にして、一度はじめたプロジェクトに対して投資を続ける人と、苦境に立たされて頓挫させた方がいいと判断した人との間で、どちらが信頼されるのかを以下の3つで図ろうというしました。

  1. やり続けることで得られる信頼
    否定的な見通しなのにもかかわらず突き進む人は、他の人からどれだけ信頼されるか。

  2. やり続ける人に向けて、どれだけお金を預けるのか。
    否定的な見通しなのにもかかわらず突き進む人に対して、他人がどれだけお金(投資資金)を預けようとするか。

  3. お金を返す行動
    否定的な見通しなのにもかかわらず突き進む人が、他の人からもらったお金をどれだけ返せるのか。

結果

  • 否定的な見通しなのにもかかわらず突き進む人は、他の人から信頼される。

  • そのような人には、29%多くのお金が預けられる。

  • そして、15%多くのお金を返しました(そういう判断をすることができた)。

つまり、一度決めたことをしっかりとやり続ける人は、他人からの信頼を得られるんだねってことがわかったわけです。ただ、たとえそれが否定的な見通しだったとしても…といった点に留意が必要です。

合理的であること

さて、上の研究では、非合理的であろうがなんだろうが関係なく、一度はじめたことが不利な状況になっていたとしても、それをやり抜こうとする人は信頼されるし、それに伴って資金を預けてもらえることを示す結果となりました。

でも、会社を経営する人たちが、そんな無茶な行動を取り続けるわけにはいきませんよね。仮に5,000万もの費用を投じたプロジェクトが完成間近だったとして、気づいたら競合他社がそのプロジェクトに極めて類似する製品なりサービスを出してしまい、新規性のない製品やサービスを市場に投じるのか。

出すと判断することもできるでしょうが、専門的な視点から試算された結果が圧倒的に赤字になると試算された場合、経営者や経営層が判断するのは「損切り」の方が多いのではないかと思うのです。

それが会社を持続、継続させるために必要な合理的な判断だから。

合理的であることとは、特定の目的や目標に対して論理的かつ効果的な手段を選ぶことです。

たとえば、企業の予算配分を考えてください。

ある企業が新製品の開発に投資する際、市場調査、競合分析、予想される回収額などを基に、予算を各部門に配分することは合理的です。

無作為に資金を分配するのではなく、データと分析に基づいて資源を最適に割り当てることは合理的だといえます。成功の可能性を最大化し、リスクを最小限に抑える戦略を採用しており、そこに感情が入り込む余地は一切ありません。

医療における診断と治療においても合理的な判断とは何かを説明できます。

患者の症状を診断し、科学的な根拠と最新の医療ガイドラインに基づいて治療法を選ぶこと。これも感覚や直感ではなく、客観的な証拠と専門的な知識に基づいているため合理的だといえるでしょう。

このように、リスクを最小化しリターンとなる成果や結果を最大化させるために、事前情報を機械的に判断することによって合理的な判断をすることができるわけです。

非合理的であること

合理的な判断を、感情が入り込まない論理構成によってのみ導き出される答えの一つ。

そうすると、上の研究結果は合理的ではないといえます。

無茶な見通しなのにもかかわらず、一度決めたことだからとやり通そうとするのは、企業経営において明らかに無謀です。でも、他人から信頼され、評価されるのは合理的な判断をする人ではないといったことがわかる研究結果ってことになります。

非合理的であることとは、論理や理由に基づかず、効果的でなかったり目的に合わない行動や決定をすること。

冒頭でも書きましたが、会社の経費を使って、働けない、働くことで成果を出すことができないオジさんを雇用し続けることは、会社にとって合理的であるとはいえません。

しかし、会社にとって非合理的であったとしても、その人を雇用し続けることによって得られる信頼があるってことなのでしょう。よくわかりませんけどね。

でも、我々って、そんなに合理的に判断しながら生きてるんですかね。目の前においしそうなチョコレートがあったら、何にも考えずに食べちゃったりしませんか。柿の種があったら、思わず袋を開けて食べはじめたりしますよね。

食事摂取を厳格に行なっていたり、接種物のカロリーにこだわっていたりすれば、それらを食すことは合理的ではありません。

何にも考えずにコンビニに入っては、大して買いたいと思っていないのに甘いものを手にしてレジに並ぶ、なんてことも合理的な行動ではありません。

でも、その非合理的な行動を好きなんですよね。きっと。その無駄を知っているからこそ、無駄だとわかっていても突き進もうとする人が信頼されるってことなんだろうな。

おわりに

じゃー、どうしていけばいいのか。

合理的に判断する人でいるべきか。非合理的だとわかっていても、やり通す人でいるべきか。

ぼくは存在自体が非合理性の塊みたいなものだなって妻さんに言われているので、それを甘んじて受け入れ続けようと思います。

ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)


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