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子どもの好奇心を折ってしまうような言葉は「呪い」です

どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

子どもと生活を共にするようになってから10年にも届かないのですが、彼らに投げかける言葉を気にしているものの、なかなか上手くいかないこともあれば、気をつけられているな、と感じることもあったりして...はい。

##なに書いた(要約)
・大人は子どもに「呪いの言葉」を投げている自覚を持つべき
・いい子と都合のいい子を明確に分けられていますか
・意欲や深みをつくるのは好奇心や興味、関心

「〇〇してはダメ」は"呪いの言葉"

親をはじめとした大人が、子どもたちに向けて放つ言葉の重さを実感を持ってる人ってどれほどいるものでしょうか。

それはもう結構な影響力を持っていて、「呪いの言葉」って言っても過言ではないぐらいに性格や、彼らの下す決断・判断に影響を及ぼします。

特に「〇〇してはダメ」って言葉も呪いの一種で、ボクなんかは強い言葉だから使わないようにしようと考えてはいるものの、喉元まで出かかったり、漏れてしまったりなんてこともあるので、未熟な人間だと実感する日々です。。

子ども側が「呪いの言葉」から逃れるためにはどうしたらいいのかといえば、「親や家族とはいえ他人である」と認識できるかどうかなのではないでしょうか。

「家族だから」とか「親だから」、「先生だから」と大人をあまりにも強く信用・信頼することで、「自分のために言ってくれる」と誤解してしまいますが、大人だからと言って間違わないわけではありません。

むしろ、経験則に縛られている分、新たな感性やできごとに耐えられない可能性だってあります。

関係が近しい人間だからと言って「正解」を持っているわけでもなければ、「間違わない」わけでもないのに、子どもと生活をしていると自分よりも弱い立場の存在が身近にいることで勘違いが起こってしまうのでしょう。

それは大人の利己的な考え方や行動に至るまでの思考であって、子どものためを思っているわけではないだろうとボクは考えます。

"いい子"は"都合のいい子"?

ここで一点。

「いい子」と「悪い子」の区別をするのだとしたら、「何もしない子ども」がいい子で、「何かやらかす子」が悪い子に分類されるのではないでしょうか。

学校や保育園・幼稚園、もちろん家庭であっても同様で「手が掛からない子」が「いい子」として認められがちですが、大人は自らが「呪いの言葉」を投げている自覚を持てない場合、その分類に気づきません。

そして、その「いい子」に分類される子どもは、得てして「素直で真面目な従順な子」とされていきますが、これは大人側からすると「都合のいい子」であって、子どもが大人に最適化した結果だといえます。

「いい子」でいることも呪いをかけられた上の結果であり、あくまでも大人にとっての「(聞き分けの)いい子」や「(都合の)いい子」といった具合に本質的に子どもを思っての言葉ではないといえます。

ボクは専門学校の教職員をしていた時に自覚し、子どもと生活をし始め、子どもの人数が増えてくるにつれて強く実感し始めた次第です。

当然、まだまだ「呪いをかけているなぁ...」と実感する機会が少なくありませんが、都度、気づいた際には子どもたちに向けてフォローするように心がけてますです、はい。。。

学習の意欲は好奇心や興味から

都合のいい子にしたくなってしまうのは、子どもの好奇心や興味の向くままに行動をさせることを手間に感じてしまうからでしょう。

もちろん、大人にだって無限に時間と余裕があるわけではありませんから、子どもたちの好奇心や興味、関心に付き合い切れるわけではないことは承知の上です。

結局は学習したり、自らが学ぼうとする意欲が芽生えるのは「好奇心」や「興味」、「関心」といった根底に「すき」があるものであることを大人は知っているはず。

それを潰されようとすることへの嫌悪感も記憶に残っているだろうし、そんな了見の狭い大人になりたくはないと思っていたはずです。

それなのに、子どもに向けて好奇心を抑えることを強いる上で「自分が我慢しているのに...」なんて思考が生まれてくるのだとしたら、それは子どもには全く関係のない理由や事柄なので、やめるようにしたいところ。

大人だからと言って万能ではありません。
有能である人も相対的には多くはありません。

とにかく、子どもに向けて体格と年齢でマウントを無自覚にとってしまっていると、いつの間にか「〇〇はしたらダメ」とか「〇〇なさい」なんて具合に「嫌な言葉」を発することになってしまいます。

子どもは守ってもらうべき立場にはいますが、抑制されるべき立場にあるわけではありません。

彼らの好奇心に付き合っていると肉体的にも精神的にも疲労してしまうこってあります。ボクの口から「ない」とは到底いえませんし、子どもと暮らす上で「事実」としてあります。

あるのはあるのですが、好奇心が意欲、知識や見識の深さに繋がるのだとしたら、それほどに嬉しいことはありません。

子どもに向けて放つ言葉も投資です。

リターンとはいいませんが、その言葉を放つ・投げかけることから起こり得る影響ってなんだろうって想像してみるだけで少し変わるかもしれません。

大変なんですけどね!

ではでは!

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