年末年始は帝京長岡高校サッカー部の健さんを応援します
どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。
誰も興味の持てないnoteを出し続けるようになってから丸々と5年が終わろうとしています。正確に言えば、2018年5月から毎日投稿するようになり、途中で体調不良で毎日更新を中断する時期もありましたが、再開してから1000日間連続の投稿となります。
さらに正確にいうのなら、1000日目は2024年の1月1日ですから連続1000日は未達状態だったりします。
ただ、そんなことは現在これをお読みのみなさんからしてみたらどうでもいいことであることも織り込み済みでして、1000日連続で投稿を出し続けてきたことなんてのは自己満足であることも承知の上でございます。
今日は年末年始をどう過ごすのか、なんて人様からしたらどうでもいいことを書いていこうと意気込んでいる次第です。おそらく、これを何かしらのデバイスで閲覧してくださっている方々におかれましては、暇を持て余した状態だから止まってくれているのであろうと思いますが、改めまして、こんなnoteをご覧いただきまして本当に感謝申し上げます。
こんな道端で寝転がっていてもおかしくないような人間が書くnoteを閲覧してくださっている以上は、読んでくださったみなさんも「あ、それだったらやってみようかな」なんて思っていただけるようなことは書けませんが、お付き合いいただけるのであれば、ほんの少し5分ほどお付き合いいただけると幸いです。
母校の帝京長岡高校サッカー部を応援する
まずは何といっても、ぼくの母校である帝京長岡高校サッカー部が全国高校サッカー選手権大会に出場していますから、その応援をしたいところです。
これを書いているのは2023年12月30日で、前日の12月29日には1回戦が行われました。1回戦で敗退してしまっていたのだとしたら、これを書く意義は根底から覆されることになってしまうわけですが、無事に勝利を収めることができましたから。引き続き、応援をできます。
1回戦は長崎総大附高との対戦。この高校、我々の世代でいえば国見高校を率いていた故 小嶺忠敏さんが率いていたことで有名です。長崎県の決勝では、国見高校を破り選手権の舞台に勝ち上がってきた猛者といえます。
1回戦の内容はといえば、帝京長岡が0-1、1-1、1-2と常に先手を譲る形でしたが、県大会では応援団長を務めていたという谷中選手の2ゴールで逆転。県大会の時点で応援団長を務めているような選手が全国大会で活躍をするだなんて、選手層の厚さがぼくの在籍時とは雲泥の差がありすぎますが、改めて「OBでよかった」と心の底から思う次第です。
がんばれ、川上 健。
今年の帝京長岡で特に注目の点といえば、テクニカルピッチで大声を出すダミ声の男、川上 健コーチでしょう。今年の指揮は、谷口先生でもなければ古沢先生でもありません。川上 健、この人。紹介記事も書いてもらえており、何だか嬉しい気持ちになったのは言うまでもありません。
谷口先生は、ぼくが高校在籍の頃から指揮を取ってらっしゃいましたが、ここ数年は古沢 徹さんが前に立つようになっていました。古沢さんは学年で言うとぼくの一つ下でいわゆる後輩となりますが、大学進学と同時に、長期休みとなれば帝京長岡のグラウンドに赴き続けていた人ですから、到底、後輩だなんて偉そうにはいえません。
川上 健さんに話を戻しましょう。
彼は古沢さんの2つ上の学年、つまりぼくの一つ上の先輩。
当時から暑苦しくて、真っ直ぐ過ぎて後輩たちからは嫌われるようなところもありましたが、最終的には憎めない人でした。一見すると強面だし、声が低いから怖い印象を受けてしまいますが、懐に入ると面倒見のいい厚かましい男です。
保育士をやっていた頃には体重が激減し、顔がゲッソリしていたんですよね。ちょっと前まではハーフパンツがパンパンになるぐらいに丸々としていたのに。それをちょっとおかしく「ダイエットの秘訣は?」と聞いたら「ストレス(キリッ)」と返してくるぐらいにユーモアのある人だってことを伝えたいがために無駄な文字数を使ってしまいました、すいません。
彼とは高校卒業後もそうですが、ちょいちょいと連絡を取り合っていましたし、今でも頻繁ではありませんが連絡を取り合う仲ではあります。20代の前半なんかは仕事中に携帯電話に連絡をくれるのですが、仕事中だから出れるわけがないわけです。そうなると留守電に「何で出ないの?」とか、いわゆるパワハラ的なメッセージを残されることも複数回どころか、ほぼ毎日あった時期もあります。
まぁ、ぼくはそれを面白おかしく受け取っていましたし、健さんもそれをわかっているから繰り返してきてくれたのでしょうから、俗にいうパワハラには当たりませんが、さすがに「集合」とだけ留守電が残っていた時には困惑したのを覚えています。
しかし、ぼくは自分でも偉いな、すごいなって思う点が一つありまして、彼のそういった意味不明な留守番電話へのメッセージを受け、夜には彼がいるであろう居酒屋へ無事に到着し、一緒に飲み明かしたって実績を紡いだこと。これこそ信頼の成せる技であると自負しております。
「母校だから」ではなく「この人たちだから」
ぼくは「母校だから」とか「自分が在籍していた部活だから」という理由で応援したいのではありません。
そんなこと言ったら、中学生の頃に3ヶ月ほど在籍していた陸上部を応援したいと言わなければなりませんし、1日で辞めることとなった野球部も応援しなければいけなくなりますが、そんなことは微塵も思わないわけです。
では、なぜ、ぼくは帝京長岡高校サッカー部を応援したいと思えるのか。
そこに応援したいと思える人たちがいるからなんでしょうね。
在籍しているスタッフが一つ上の学年や一つ下の学年の人たちだってことが大きいのかもしれません。もちろん、彼らもぼくと同じ人生を過ごしているわけではありませんから、彼らの何を知っているのかといえば何も知らないんでしょうね。
何も知らないのかもしれませんが、彼らの青春期を二年間ほど一緒に過ごさせてもらった経験は、今の彼らだけを知っている人たちには知り得ないことであり、今でも青が澄んでいるし、今でも青は澄んでいるのです。
親友だなんてわけではありませんが、当時から彼らを尊敬していたし、尊重していました。それどころか、彼らのように、真っ直ぐ過ぎるほどに真っ直ぐ帝京長岡高校サッカー部に向き合うことのできる姿勢や態度に対し、どこか羨ましいといった感情も抱いていたようにも思います。
でも、そんな感情を抱かせてくれる人たちが立つ場所に、彼らに比べたら一瞬だったかもしれませんが在籍していた過去と、彼らとの時間を思うと、素直に応援したい気持ちが湧いてくるのです。
まぁ、ぼくみたいな軽薄な人間が応援したいと思っていたところで、彼らの何がマシになるわけでも、帝京長岡高校サッカー部の成績がよくなるわけでもありませんし、何よりも彼らの人生に何もいい影響を与えられるわけではありませんが、少なくとも、これを読んでくださった方におかれましては、サッカーだけではなく、そういった人たちが指導するチームなんだってことを知ってもらえたら幸いです。
おわりに
12月31日、帝京長岡高校は市立船橋と対戦することが決まっています。
全国大会で市立船橋と対戦するのに、真っ向から勝負できるってのは、ぼくらの頃からすると到底考えられないことです。当時から谷口先生は「目標は日本一」と述べていましたし、それは選手の質がどうこうではなく、目標を達成するためにすべきことをするのだと選手に求め続けいました。
当時のぼくらからすると「それはわかるけどさすがに…」といった気持ちが芽生えなくもなかったわけですが、今となってはそれを実現しつつあるわけで、それも含めて感慨深いものがあります。
もし、興味をお持ちいただいた方は、少しでもいいので帝京長岡高校サッカー部のことを調べてみるなり、試合を観戦するなりしてみてください。
ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)
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