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noteでかくこと、つづけること

はじめましての方から頻繁に起こしいただく方まで、ようこそ。
どうも、ゑんどう @ryosuke_endo です。

けたたましくLINEやDMで「なんでnoteの更新を毎日つづけてるのか」って問合せというか連絡がまぁたくさん、これでもかっていうぐらいに来ないので自分から書くことにしました。

はじめに

ぼくは人口が80万人ほどもいる地方都市(新潟市)在住の自由業者をやっている、ゑんどうです。

ゑんどうの「ゑ」を旧字体にしているのは、えんどうって名前自体がありふれている上にオモシロ味もなにもないことにヤキモキしてきたことへの反動です。

これにしたからといって何か特別にステキなことが起こっているのかといえば何も起こっていません。人生ってそんなものですよね。

実は、noteユーザーとしては歴の長い方で、2014年の4月からユーザーやってます。そう、長いんですよ。新しいサービスが出たら、ひとまず乗っかってみるってだけなんですけどね。

2018年の5月から毎日かくことをはじめて、途中、半年間ぐらいの空白期間はあるものの、いまも毎日noteをかいてます。

これまでに書いたnoteは1,592で、これを入れたら1,593。ありがたいことにnoteでのフォロワーも、これを書いている時点で2,381(!)もついてくれていて、なんというかありがたい限り。

ほんと、ありがとごザマスって感じの中年男性でございますが、今回はnoteのはじめてよかったことからつづけ方までを簡単に書いてみようと思います。

noteのはじめてよかったこと

シレッとはじめてしまう

たぶん、誰かしらから勧められて「はじめてみようかな」なんて気分になっている人って一定数いるんでしょうね。

noteみたいに「これでもか!」ってほどに誰かが創作したものがブワーッっと羅列されている様子をみたら圧倒されるのと同時に「自分も…書いてみようかな」とか思いたくなる気持ちはわかります。

あれですよね。カラオケで誰かが歌ってたら自分も歌いたくなるっていうのと似てます。きっと。

noteをかきはじめるのだって別に特別な勢いとか必要ありません。いや、はじめは必要か。必要ですね。必要です。

ぼくはnoteでかいた一記事目はユーザー登録した瞬間に投稿したもので、以下の通り。

これですよ。まったくもって内容なんてありませんね。「知らねーよ」って話だし、「勝手にやってろよ」です。

だから、勝手にはじめればいいんです。勝手にはじめていいんです。誰かに知られる必要なんてありません。コッソリはじめてしまえばいいんですよ。

誰にも読まれないけど誰かに読んでもらえる

書いたからといって急に閲覧数が何万も何十万もいくような爆発的なコンテンツ生成ができるような文才の持ち主でもなければ、圧倒的な知名度を誇る著名人でもない限りはありえません。

平素、それなりに暮らしてる一般人であるならば、noteで記事を投稿したところで誰からも注目されることもありませんし、ネット上で話題になることもありません。

身内というか知人の誰かは気づいてくれて、「読んだよー!」とか感想くれるかもしれませんが、その程度です。だから安心して投稿してください。

でも、ネット上の誰かには読まれます。誰かが「スキ」をしてくれます。誰かがネット上でシェアしてくれたりします。閲覧数に「1」って数字が加算されますが、その分だけ閲覧してくれた人がいたってことを実感できます。

それはすごくうれしいことです。それを糧に「書いてこ」って思えるほどに「ネット上の誰か」が読んでくれたことに感謝したくなります。

誰にも読まれないからこそ、誰かに読んでもらえることがうれしいんです。

noteを書いててよかったこと

見知らぬ知人がたくさんできる

noteの中には #noteでよかったこと なんてタグがあるぐらい、創作意欲に溢れる人たちがたくさんいます。

こんな風に #noteのつづけ方 ってタグの中には指南書的なnoteを「これでもか!」ってぐらいに埋もれてます。図書館の本って全部読みきれないなって思いますが、それと同じような気分になるほどたくさんのnoteが放り込まれてますから、どれか一つでも気になったものがあったら読んでみてください。

読んでると「あ、この人の表現、いいなぁ」とか「な、なんだこの圧倒的な分析力は…」みたいな感想を抱くこともあれば、「ふーん、こういうこともあるのか」とか「いやいやいやいや!ありえないでしょ!」といった具合にリアクショを取りたくなるnoteにも出会うかもしれません。

別にnoteに限定したものではないでしょうが、noteのユーザー数が増えているからこそ、noteとの出会いもあればnoteでの出会いもあるでしょう。

毎日の投稿をはじめてから、同じように毎日投稿する人やnoteで投稿を続けている人たちと知人になることができました。ソーシャルメディア上でつながりができて、その人たちと交流して、オマケにリアルに交流をしたり…なんてことまで発展したのです。

そこまで発展させる必要はないかもしれませんが、少なくとも合ったことのない知人が増えることに悪いことはないでしょう。

強くはないかもしれませんが、つながりが増えることは自分の世界線を広げる意味でもステキなことだと思うのです。少なくとも、ぼくはそんな世界線にふれることができてよかったと思ってます。

自分の代わりに自分のことを紹介してくれる

ぼくがnoteをつづけていてよかったと思えることの最も大きな部分は「自分が話していないことを相手が知っている状況」が生まれたことですかね。

ネット上に記事を置いとくだけで、ぼくが起きていないときや仕事をしてたり家族と過ごしているときにも、誰かの目に触れたり読んでくれてたり…なんてことが起こるわけです。

すると、不思議と「自分の考えを知ってくれる人」が知らぬ間に増えている、なんて事態にまで拡張されます。一見すると怖いことかもしれませんが、ぼくにとっては非常に有益なものです。

どうしてか。

たとえば、転職をしようと企業面接を受けたりする際に、ネット上で自分の名前を検索されることを前提ですよね。もしくは、商談に臨む際に相手の情報を検索することも世の常みたいなところがあります。

そこで相手の書いてることとか情報を少しでも引き出せたら、物事がスムーズに運べそうなものです。逆にネット上に何も情報が転がってなかったとしたら、少し怖くなってしまいませんか。

少なくともぼくはネット上に情報が何もない人よりも何かしら情報がある人のほうが安心できたりします。

ありがたいことに、名前を検索したりするとTwitterだとかnoteのが表示されますから、それらに入ってきてもらうと必然的にnote内にある記事を数本、読んでもらえちゃったりするわけです。

仮に面接を控えているのだとしたら、相手は履歴書や職務経歴書以上のことを把握することが出来ますし、商談をする相手も商材やサービス以前にぼくのことを把握する機会にすることができます。

ぼく自身がしなければならない説明をネット上のnoteが代行してくれるわけで、これほど便利なものはありませんし、自分が話したいことを相手が知ってる状況が生み出せるなんてうれしいことこの上ないじゃないですか。

そんなわけでぼくはつづけてます。

おわりに

「毎日、どこ(いつ)書いてるんですか」と聞かれることが少なくありません。毎日、2,000文字から3,000文字、多ければ4,000文字とか書いてしまってるんだから、そりゃ気になることでしょう。

ぼくは生活スタイルが朝型でして、朝の03:00から03:30の間には起床してます。そこから仕事したりするわけですが、他の方が定時以降に用意してる時間を朝に持ってきてるわけです。

この時間で思いついたこととか考えてたことを書き連ねていくのですが、書いてそのまま出してしまうので誤字や脱字なんて当然のように出てきますし、構成的にも怪しいこともあります。

それでもライブ感を楽しむ意味で「毎日うみだすこと」を大事にしてるから、それほど気にはしていません。1,2回ほどは清書する際に確認しますが、どうしても漏れちゃいますね。

毎日、それだけの文字数を書いてるから書くのが早くなったんですよ。2,000文字ほどで、内容も調べ物や出典など用意するものがなければ20〜30分の間にかけちゃったりします。

今回のように文字数が多くなるようなものだと5,60分かかったりしますが、それほど時間を割かれているような印象はありません。

何より、これが習慣化しているので止めたくないってのがホンネなんですけどね。

今日も無事に書けたことに大変満足しているのと同時に、これを読んでくれた人の中から「note、書いてみよっかな」とか「ブログ、はじめてみよっかな」みたいな人が実際に書きはじめることがあるとステキですね。

ま、そんな「いいこと」がぼくの書いたnoteごときで起こるとは思えないけど!

ではでは。

ゑんどう

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