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「失敗」が嫌なのではなくて「失敗した状態」が嫌なのではないですか

どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

『失敗したらどうするの』

いまも共に生活をしてくれる妻さんをはじめ、旧友たちからも散々受けたりもしました。この質問に向けてボクがしてきた回答も含め、そもそも失敗って何だろうね、なんてことを整理する意味で書いてみようと思います。

##なに書いたの(要約)
・成功だとか失敗って価値観によって異なりますよね
・そもそも失敗と失敗した状態は異なりますから
・「失敗したらどうするの?」は「失敗した状態に耐えられるの?」

そもそも成功とか失敗の基準はない

人生というか、ボクたちが暮らす普段の生活って、成功だとか失敗は基準が人によって異なります。なぜなら、それぞれの人が持つ価値観によって成功や失敗が決められるからです。

「なんだ、当然の話じゃないか。」「なにを今さら...」という人もいるでしょうが、これに気づいている人は恐らくですが、ある程度の満足は得られている人、つまりはそれなりに成功している人だといえます。

成功も失敗も基準がないってことは、自ら基準を決めていいってことになります。それなのに、他人が他人に向けて「失敗したら...」と質問をすること自体が「出来るわけのない質問」をしていると捉えると失敗といえます。

失敗したら...と無条件に質問する人たちは、たとえば「起業」や「独立」などで、売上を立てて利益を生むことができた場合に得られる社会的な認知(もしくは称賛)を得た状態のことを成功としています。

その逆に、売上も立てられず利益なんて出せない状態のことを「失敗」だとしているのだと推察できますし、それを「取り返しのつかないこと」だと認識してしまってる場合が(ボクの経験上)少なくありません。

ここで疑問です。取り返しのつかないことをやったことがない人は多数派なのでしょうか。少数派なのでしょうか。

失敗をしたことがない人なんていないだろう

「取り返しのつかないこと」を「失敗」だとして、それをしたことがない人はいないだろう、とボクは考えています。

たとえば、遅刻をしたことがない人もいるでしょうが、数分程度の遅刻であったとしても時間を巻き戻せる術を持たない以上は「取り返しのつかないこと」を犯したといえます。

学校生活を送ってきた中では「試験」があります。その定期試験を受けた結果が非常に悪かったことですら、すでに「取り返しのつかないこと」なわけです。

程度の差こそあれど、誰しもが「失敗」を経験しているはずなのに「どうするの」なんて質問をする人は、過去の自分が失敗に対して何をしてきたのかを振り返るのが先じゃないんですか、なんて思うわけです。

恐らく、恐らくですよ。

遅刻をして、それを反省した人は、次には遅刻しないように気をつけたでしょうし、試験の結果が悪くて反省をした人は自分が何を間違ったのかを把握した上で次の試験に臨んだはずです。

何がいいたいのかといえば、「失敗したらどうするの?」って質問に対しての回答は「反省を次に活かす」だと思うのですよ。これ、おかしいですかね。

失敗した状態を受け止められない人

質問者の人たちは、善意、もしくは心配をして「失敗したら...」と質問していると認識しているのかもしれませんが、その考えは本当に質問をする人に向けられている感情なのでしょうか。

失敗に対して許容できない、許容したくないといった「自分自身に向けられている感情」かもしれないってことを認識されていますでしょうか。なんていうんでしょうね。その質問をしている自分に酔ってるというか。

失敗は怖いですよ。取り返しのつかないことが失敗だって定義づけた上でここまできているわけですが、ボクだって可能ならば失敗したくありませんし、その可能性を避けたいとも思っています。

「やったことがないこと」は「わからない」じゃないですか。

「わからないこと」をやってみようとする姿勢自体を否定することって、何のためにもならないとボクは思ってます。

何でもかんでもやってみればいいのかといえば、事前にできることは取り組んでからやろうねとは思うのですよ。それは同意します。

「無知」と「無謀」は異なりますから。

無謀の場合は取り組み方自体が雑なので、それを諫める意味で「失敗したらどうするの?」って質問も理解できます。無知なのであれば、無知の部分を指摘する必要があります。

ただ、どちらにも共通していえることは「具体的な指摘をする必要がある」ってことで、それは「経験者」なり「見識者」ならば可能ですが、そのどちらでもない場合に「失敗したら...」と失敗した状態を差して質問します。

「失敗をすること」と「失敗をした状態」は異なります。

もしかしたら、「失敗したらどうするの」と質問をしている人は、「失敗した状態を想像してる」のかもしれません。さらにいうと、失敗をした状態が嫌だって自身の感情を、そのままぶつけている可能性があるってことです。

それはあなたの感情や考え方であって、それをもって相手の考えや行動を変えようとすることは、果たして「誰のため」なんでしょう。

相手のことを思っているはずが、実は自分の感情に寄り添ったものだったりしませんか。そんなことをちょっとでも考えてもらえると、よく質問をされる側からしたらうれしいよね、なんて思う次第なのです。

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