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AIが使えるようになって人生が楽になった

どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。

AIの登場というか、Stable Diffusion ChatGPTといったサービスが公表される以前と以後とでは仕事もそうだし、生活面でも圧倒的に生きやすくなりました。

いわゆるホワイトカラー系のデスクワークって、PC内で活用されるアプリケーションの性能が高くなってきたり、手元にあるスマートフォンでできることが増えてくるにつれて、ドンドンと求められる仕事の質が高くなっています。

この傾向が止むことはないでしょうし、これからもぼくたちの生活が便利になるにつれて、求められるスキルもそうだし、それを背景とした実績も高くなってくるでしょう。

そんな中、いわゆる平凡な能力しか保有していない、いや、平凡な能力すら持ち得ていない人間からすると、大変生きづらく、強制的にハードモードを強いられているような圧迫感を抱かざるを得ませんでした。

おそらく、そもそも偏差値も適応力も高いスペックの高い人たちは何も困ることがないのでしょうが、そうではない立場からすると、すごくすごくすごくツラいんですよね。

それがAIが身近な存在として舞い降りてきて、それを安易に利用できるようになったことで、すごく楽になりました。本当に良かったと心の底から安堵しています。

AIを使うことのできなかった頃

勉学における偏差値もそうですが、仕事における偏差値も高くない人間からすると、何かしらの企画を立てること、その期日を設けては手順を考えて実行しながら襲い来る事件や事故へ臨機応変な対応をすることは決して容易なことではありません。

たとえば、Excelなどの表計算ソフトで「手打ち」から「自動化」する必要がある場面では、マクロを組んだりVLOOKUP関数を用いたり、そこまでしなくとも何かしらの関数を用いればいいとは思いながらも、何が適した関数なのかといった"当たり"をつけることもできないのです。

当たりをつけられそうになるためには「問い」を立てる必要がありますが、眼の前にある課題や問題を頭の中で構造的に解釈することがむずかしいため、些末な小手先の情報収集だけにとどまってしまい、結果的に時間を費やした割には本質的な解決にたどり着けない徒労感に苛まされることに。

残念ながら、あらゆる仕事には締切が設けられており、その時間的な成約の中で最大の効果や成果を出さなければいけません。

心理的な圧迫感を抱かせられるタイムプレッシャーの中、解決するどころか、その糸口すらまともに見出すことができないことに徒労感だけでなく焦燥感や自己嫌悪に陥ってしまうのです。

検索をするにも「自分がどんな問いを解決したいのか」を明文化することができないため、的外れで頓珍漢な方向で時間を費やすことに、ホトホト嫌気が指す毎日は決して生きやすい世界ではありませんでした。

AIを使えるようになって以降

ChatGPTなどのチャット形式で問いかけることができるAIを利用できるようになって以後、それまでの苦節感が和らいでいく実感を得ることになりました。

たとえるならば、膝に痛みがある状態で歩かなければならなかったのに、とある装具を装着することで痛みが軽減され、しっかりと背筋を伸ばしながら着々と歩けるようになったとでも言えばいいでしょうか。

本質的に自分の知能やデスクワーク的な技能が高まったわけではありませんが、それら個人能力を拡張してくれるツールを頼ることが許されたことによって常に一緒にいなければならなかった痛みを軽減してくれるだけでなく、むしろパフォーマンスを引き上げてくれるようになったわけです。

「これで人並みに仕事ができるようになるかもしれない」

総実感できたときの喜びは果てしなく広がる水平線を眺めたときのような、真夏に湿度の少ない大きな青空を見上げたときのような清々しさ、水々しさを体感することになりました。

自分が天才になったわけではないのですが、天才たちが提供してくれるツールによって、優れない側として生きなければならない自分でも、何とか一般的な生活を送ることが許されたような、安堵感は何とも表現のしづらいものですが、とにかく、この世の中に安心感を抱くことができたのです。

AIの使い方を喧伝する情報は多くあり、それらをすべて享受することはできないのですが、そうやって天才たちがつくりだした創作物に対し、様々な解釈や利用法を提供してくれる天才たちの存在もまた、ぼくを救ってくれる一助となっています。

本当に、ほんとうにありがとうございます。

振り回されることのないように学ぶ

AIが「正しいこと」を返してくれるものだと妄執してしまっているようであれば、それは使うべき立場にないでしょう。

あくまでも機械を使う立場であるべきで、振り回されるような事態に陥ってはいけません。そんなことはしっかりと理解しているつもりですが、「何が間違っているのか」を見抜くことができない分野があることは否定できません。

しかし、それを否定するため、懸命に学ぶ必要があります。

この学びの機会を与えてくれたのもAIが登場したことによる恩恵です。

AIに振り回されないように、騙されないように、何が適切な回答なのかを調べることは、何の当たりもつけられずに途方に暮れていた頃の自分にはない、前向きな学びの時間であり、その時間を味わえることには喜びすら感じます。

自己拡張を促してくれる側面と、自己拡張の前提を補完するための時間を提供してくれているところを踏まえると、本当に大きな恩恵を受けることができていると言わざるを得ません。

ぼくには創造性も効率性も生み出すことができませんが、AIのような機械がインターネットを介してそばにいてくれるだけで、その可能性を感じられますし、そこに希望を見出すことができます。

希望を見出すために学び、学びながら可能性を感じる。

そういった生き方ができるようになったことで、自分はまだ生きていていいんだって思うのです。

おわりに

こんなぼくでも機械から助けてもらえる実感を得たことは、これ以外にもたくさんありますが、今回の趣旨は書けたのではないかと思いますので、このあたりで失礼します。

ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)


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ゑんどう ≒ 遠藤 涼介
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