映画館に行ったことなかった
小さい頃、といっても年中から小学校ぐらいまで、ぼくは映画館に行ったことはなかった。
映画、といえば水曜日と金曜日と日曜日、のちに土曜日にテレビで、自分が望んでない洋画を中心に放送されるものだった。
ジャッキー・チェンの存在を知ったのは、金曜日の夜にやっていた吹き替え版のポリス・ストーリーをみていたことからで、あんなふうにアクションができることを子どもながらすごいと思っていた。
あ、思い出した。一度ある。
確か日曜日だったと思うのだけれど、親戚のおじさんに連れてってもらい、隣町の小さな映画館へ行った。
すごく狭い映画館だった。立ち見だったこともあり、まともに鑑賞することもできず、ものすごく不満を感じたものの、連れてった身分だったこともあり、満足そうにしていた。
中学生になると地元の街に映画館ができた。
同級生たちと映画を観に行った時の興奮は忘れられないもので、『映画館に行って、チケット買って、ドリンクまで買って映画みちゃった』なんて思ったものだ。
当たり前の購買行動だが、その当たり前をするのにも時間がかかった。
それも20年から30年前の話で、そんな昔話がなんだ、ということになるのだが、別にそれをコンプレックスとして抱いてる訳ではない。
現在、息子たちと生活を共にする中で、遠藤家としては映画を観に行くことが少なくはない。決して多いとは思わないが、ここ最近は月に一本観ている。
三男はまだ映画を観れるような状態にはないため、映画館へ連れ出し、映画を観るなんてことはしないが、長男と次男は映画が大好きだ。
過去にもnote内に、映画を観に行った際のことを記事にしているけど、本当に映画館に行く、となるとうれしそうにしてくれる。
それを見ていて思う。
あ、これはうれしいぞ、と。
子どもたちと「映画を観に行く」ということ自体がうれしいのは当然だが、それ以上に、自分が子どもたちにその機会を提供できてることに喜びを感じる。
子どものために「何かをやってあげてる」だなんて、偉そうなことはとても言えないけど、「一緒に何かをする時間を設けられていること」には満足してる。
自己満足なのかも知れないけど、彼らとしたいと思えることをできること、してあげたいと思えることが実現できていることをすごくうれしく思うのだ。
それは案外、自分ができなかった、してもらえなかったことに対する反動といわれれば、そうかも知れないのだけれど。
ただ、今、ぼくがやりたいと思えることに子どもを連れて行ける場所を選択し、行動できていること、なによりも新しい選択肢を提供してくれてる子どもとの生活に満足している証拠だ。
また、ぼくの、そして彼らの思い出となる要素を増やしていこうと思う。
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