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無能で自信など微塵もない人間が考えるリスキリング

 どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。

 リスキリングってカッコよさそうなカタカナですよね。キリングってのがkillに見えるから少し怖い気もしますね。リスってかわいいですよね。スキってなんだかドキドキしますね。あれ、何の話でしたっけ。

 さておき、ぼくはタイトルに記載している通り、無能派閥の首長を収められる自覚を有していながら、何も成し遂げることもできない自信など皆無な可哀想な無能おじさんなのですが、リスキリングって言葉を聞くと「もしかしたら自分も…」とか思い込んでしまいます。

 あの、専門書を買って、本棚に飾るだけで読んだ気になるような、あの気持ちっていうんですかね。

 あまりにも不毛な文章を書き始めてしまっていることに後悔をしているのですが、尊敬、敬愛する松本 健太郎さんが住友生命の岸さんとリスキリングについて語るコンテンツを目にしてしまいました。

 内容としては、大企業におけるリスキリングの課題と解決策を探る対談で、デジタル化時代における人材育成の重要性や、「丸投げ文化」の問題点を指摘しつつ、リスキリングの本質を「業務を自分の手に取り戻すこと」と定義しています。

 ぼくがどう転んでも関係を持つことがあるとは思えない大企業の話なので少し遠い気持ちになってしまうものの、大企業は大企業で大変なんですね。この記事は大企業にとって変革の必要性や、個人の主体性を重視した新しい働き方の提案など、純粋におもしろいコンテンツとなっていますのでお読みくださいな。

 で、これまでにも何回かリスキリングについて書いてきたのですが、基本的にリスキリングや学び直しは人を選ぶって話で決着つけてしまってました。

 今回は、リスキリングに選ばれない側の人間としてリスキリングへの対峙について考えてみようと思う次第です。

「リスキリング」を耳にする機会が増えた背景

 リスキリングだ何だって耳にし始めるようになったのって、ここ最近だと思われているかもしれませんが、以前から「大人の学び直し」といった言い方で仕事をしながらでも、しばらく職務期間が空いていたとしても学び直すことはできるし、学び始めることが大事であることは薄々気づいてた大人が多いはずです。

 それが、ここ最近になってデジタル化だ、ITだ、AIだって話題が多くなってきたことに加え、それらを扱うスキルや能力を保有していないと仕事ができない人間のような風潮が生まれてきつつあり、日本以外の国ではデジタル化などを多少の無理をしてでも推し進めてきた結果、経済活動に大きな差が生じてきたことに焦っているようにも思えます。

 あとは人口動態も少子高齢化してきたことで労働力自体が減ってしまいますから、1人で複数の業務をこなしてもらうようなことも想定しているのかもしれません。

 それは技術的にリモートワークなどが可能となり、複数の業務をこなすことが現実的となってきたことも影響しているでしょう。副業や複業といった言葉が頻繁に聞かれるようになったこともリスキリングの話題が増えていることと相互に影響し合っているように思えます。

 そんな状況な上に、雇用形態が終身雇用制や年功序列型の形態が瓦解している現状を踏まえると、個人のキャリア観を否が応でも変化させることが必要となってきてしまったところで、「このままじゃダメ(稼ぎ続けられない)」といった危機感が醸成されているのでしょう。

リスキリングは誰のため

 じゃー、リスキリングは誰のためなのか。

 ここまでに書いてきた内容からすると、個人がキャリアを維持・発展させていくために必要なことだったり、経済的な安定を確保すること、自己実現や成長を成し遂げるために必要なことのように思えます。

 でも、そんなことはく。

 結局は、個人が能力やスキルを成長させていくことで何を得たいのかといったら企業がそれらを駆使してビジネスを成長させていく、継続させていく、途中で断念しない状態にしていくことを成し遂げたいわけで。

 さらにさらに、そうやって企業が収益を上げられるようになることで社会構造的に多くの税金を納めてもらい、ぼくみたいな無能派閥に属する経済活動への参画もまともにできない人たちへ再分配することもやっていきたい、つまりは社会全体として必要なことだったり。

 そんな風に考えてみると、国がリスキリングだ何だと個人の学び直しについて発信したり政策を考えて実行することが「しなければならないこと」なのだと理解できます。

 よって、リスキリングを目一杯かっこよく言おうとすると「より良い未来を創造するため」に必要なことであり、個人の幸福と社会が発展していくことを勝ち得ていくために必要なものなのだろうと考えることができます。

機械化する/しない/できないとリスキリング

 リスキリングをしたことで何をしたいのかといえば、仕事に活かすことをやっていきたいわけです。

 でも、仕事といってもたくさんあります。たくさんありますが、無理やりに大別して「機械にやってもらうかどうか」を軸に据えて考えてみましょうか。

 そうすると「機械化する仕事」、「機械化しない仕事」、「機械化できない仕事」に分けられそうです。他にも分類できるのかもしれませんが、脳足りんではこれが限界です。

 それぞれにリスキリングによって何が起こるのか。

 じゃ、機械化する仕事ってのはどんなものがあるでしょう。

 定型的で反復するような仕事、たとえば製造業におけるライン作業や銀行の窓口業務なんかが当たるでしょうか。

 定型的で反復が繰り返される仕事は機械の得意とするところですから、そういった仕事をされている方々は機械やAIを使いこなせるように学ぶことが有効そうです。データの解釈やそれらを元にした判断する経験が養われていくことが職域を大きく広げてくれるはず。

 金融のアドバイザーとして、ロボット操縦する技術者として、など機械化することが前提の仕事でも大きく範疇を広げることが可能になります。

 次に、機械化しない(しにくい)仕事についてみていきます。

 これは高度な認知能力や判断力が必要で、機械的な判断を下すことのできない医師や教師といった仕事が当たるでしょう。なぜなら、それらの職業には複雑な人間関係に対する理解や、それの元となる感情に対する理解が求められるから。

 すでに医療界ではAIなどを活用した事例なども出てきていますし、教育業界でも個別最適な学習を提供するシステム等が出回っています。それらの機械的な補助を用いながら、個別の感情に寄り添うこと。

 これが機械化しない(しにくい)仕事が学び直しで得られる効用でしょうか。

 最後に、機械化できない仕事

 これ、何ですかね。ちょっと考えてみても、アーティストだとか哲学をする人たちぐらいしかでてこなくて困ってます。

 極めて高度な創造性とか芸術性、あとは倫理的な判断とか人間の生存に関わるような部分に関わる仕事となると、上の医師や教員も含まれそうですが、一旦、芸術分野のアーティストだとか哲学ってことにしておきますか。

 この人たちだって、機械なのかを駆使しながら人間の拡張性や表現方法の模索ができるでしょうし、そういった機械が日常生活の中に入り込んできた中での価値観の変化を利用することもできるかもしれません。

 詰まるところ、あらゆる仕事において機械化するとかしないとかできないってところにも曖昧な線引きがされており、とっても流動的なんですよね。

 混ぜ合わせながら、ちょうどいい塩梅に調合していくこと。これがリスキリングの本筋なのかもしれません。

おわりに

 うん、この辺にしておきますか。

 ではでは。
 
 ゑんどう(@ryosuke_endo)


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