見出し画像

"子どものため"という大人の呪縛

「ねぇ、自分の財布からお金出すから、これしていい?」

先日、久しぶりに長男と二人きりで出かける機会を得たので、ブイーン!って車を走らせて、方々(ほうぼう)にでかけたのですが、その際に長男の口から出た言葉なのです。

息子に対する「お金」にまつわる学びの機会をどうやって設けようか、なんてことはすごく大きな課題、問題感がありますが、具体的にカリキュラムに落とし込んで...みたいなところまでは行けてません。

ぼく自身が疎い部分もあるので、うまいことできる仕組みを構築したいなぁ、なんて思っているのですが、我が家的にやりやすいのは「お金を使う」場面を自らつくって、やってもらうこと。

その一歩目からやってもらうことから始めよう、ということで、スーパーへガマ口の財布を持参させ、自らの買いたいお菓子を手に持たせ、レジに並んでもらい、お金を支払ってもらう、なんてことをしてました。

58円のお菓子を100円を出して買った彼の元へ46円返ってきたわけですが、それを見て「よっしゃ、増えた〜!」なんて言っちゃうカワイイ長男です。

ここからもわかるように、彼にとって「買う」とか「お金」を払うなんて行為が、「お金を使う」と結びついてない、なんて印象。そこで今回のぼくとの二人きりのお出かけでは、彼の財布からお金が消失してしまうぐらいにお金を使ってもらおうと。

つまり、散財してもらいます。

彼の財布の中に入っているお金は、過去にもチビチビと使い続けてきたこともあり、決して豊富なわけではなかったのですが、それでも、1日中ぼくと出かけることで目にすることができる子ども向けのお金支払い装置は沢山あるのです。

たとえば、本当に小さな水族館なんていけば、海洋生物のレプリカが入ってるガチャをすることができますし、アンパンマンの絵柄がついた自動販売機だって置いてありますから、ネタは尽きません。

ちょっと小腹が空けばコンビニだってありますし、科学館みたいなところへ行けば、おもちゃ売り場がありますし。「彼の好きそうなところ=彼のお金を使う要素が沢山あるところ」ですから、いくらだって使うことができるわけですよ。

そして、今日のテーマは散財。彼の財布から、お金に"いなくなってもらう"ことがメインな訳ですから、どんどん行きましょう!...と使って使って使い倒してもらったところ、彼の財布がスッカラカンに。

しかし、彼の中では、まだまだお金を出して使いたいのです。世の中には彼に欲しいと思わせるだけの魅力的な商品やサービスにあふれている!が、しかし、お金がない!

結構、財布の中がいっぱいになるぐらいにお金を入れていたのでしが、今日までにも使う機会がありましたし、何よりも今日、その財布の中身をすべて使ってしまいました。

「そんなに使ったらお金なくなるよ」とか「今それ買ったら、次に〇〇が買えなくなるよ」とか「もったいないよ」なんて、大人の立場で見るお金の使い方を指南する物言いは一切しません。

したところで何も響きはしないことは、自分自身の過去に体験済みです。

「子どものため」なんていう風に大人たちは考えるのかもしれませんが、失敗(今回で言えば財布からお金がなくなることや、大人から見て無駄だと思えるお金の使い方)をやめさせることは子どものためではない、とぼくは考えてます。

結果、彼は自らの財布の中身がなくなり、自分が思う通りにお金を使うことができない状況に陥ったことを理解すると、絶望していました。その気持ちはわからないでもありませんが、自らが招いた状況ですから、受け止めざるを得ません。

それに対し、若干フォローをしながらも、次にはどうしようか。「値段」を知ることや、もっと前段階として、財布の中身をきちんと把握するために、お金の金額を知ること、など。

財布の中からお金がなくなることぐらい、どうにでもなります。そこから次にどうしたらいいのかを一緒に考え、ぼくも実際に行動していこうと思います。どんどん失敗してもらいましょう。命の危険がない限りは。

今日も読んでいただき、ありがとうございます。

ちなみに、ぼくの財布の中身は常にスッカラカンなので、妻に「お金ちょうだい」というたびに飛び蹴りをもらうばかりです。

この記事が参加している募集

#育児日記

49,460件

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。 お読みいただき、それについてコメントつきで各SNSへ投稿していただけたら即座に反応の上でお礼を申し上げます!