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日本にいる若者は政治に期待せず自らの幸福を優先して生きよう

僕は三名の子どもと暮らす父親だ。三名とも男児だが、男らしくいてほしいとも思っていないし、日本を背負って立つ人間になってほしいとも思わない。ただ願うのは、彼らが彼らなりに幸福な人生を歩むこと。それだけだ。

 しかし、それを日本という国に(正確に述べるとするならば政治に)期待することはしない。僕たち夫婦のような30代が日本に住むことで政治に散々裏切られてきたからではない。期待すること自体が無駄だからだ。

 どうも、えんどう @ryosuke_endo です。今回は上記した理由を地方在住の意識ひくい系で打たれ弱く褒められて伸びるモブキャラである僕なりに子どもと暮らすからこそ政治に期待すべきではないと考えるに至ったことを書く。

▶︎ 個人で幸福を求める生き方を

▷ これまでにできたはずなのにしなかった国『日本』

僕はこれまでも自身の子どもを含めて若者に「選挙に行け」と言えないことや、そもそも若者が行かないのは無知ではなく合理的ともいえる判断をしているからであるとしてきた。

 なぜか。根本的に日本の人口動態として若者が選挙に行ったところで若者が日本で暮らすことが有利に働くことにはならないことが明白だからだ。

 それを「選挙にいけば世の中(社会)が変わる」と伝えることはウソになる。詳細は上記のnoteで記載しているが、簡略的に計算しやすいよう若者の定義を20歳から40歳までだと仮定した場合、2736万人だ。それよりも年齢が上の人口は7769万人。その割合は35%しかいない。

 つまり、仮の計算ではあるが40歳以上が結託して同一票を36%も投票すれば若者側に勝ち目はないのである。この事実を覆すことはできない以上、若者に選挙に行くことで世の中が変わると伝えることはウソとなってしまう。

 ある種、昭和の時代にはエンタメ的な楽しみ方をしていたのだろう。今よりも娯楽が少ない時代である。

 何年かに一度のまつりごとを自分たちの選んだ代表者が行うことに誇りすら感じていたのかもしれない。しかし今は政治に期待することは愚かであるとすら実感している若者が多いのではないだろうか。

少子高齢化の社会が到来することは50年近く前の1975年にはわかっていたことであり、少なくとも合計特殊出生率が1.57となり『1.57ショック』と呼称することとなった1990年には判明していたことだ。

 つまり30年以上前から日本の政治家はその事実を目の当たりにしてきたし、当時の主権者たちも認識していたのである。

出典:令和3年版(少子化社会対策白書(総人口と人口構造の推移)」
https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2021/r03pdfhonpen/pdf/s1-1.pdf
出典:令和3年版「少子化社会対策白書(出生数、出生率の推移)」
https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2021/r03pdfhonpen/pdf/s1-2.pdf

 しかし、細々としたそれっぽい対策をしてきたものの、全く改善する気配はない上に、現役世代の社会保障への負担割合は増すばかり。加えて高齢者は厚遇されるのだから、日本の政権(主に自民党)は「できたはずなのにやってこなかった」ことになる。

 これを経ての今の若者世代に「選挙に行けば自分たちの立場がよくなる」と言えないことは明白だろう。これまでに行われてきた選挙によって若者厚遇の政策が実行されるような時代がなかったのだから。

 事実、そんな時代は存在しなかったのである。昭和の時代にも平成の時代にも。

▷ 政治に、とか国に、では主語が大きすぎる

 NHKのディレクターがまとめた以下のnoteにディレクターが選挙への意気込みを最後にしたためているものの、文中で書かれている高校生たちの姿は政治に参加できなくても街のあり方や社会参加が可能であること、ひいては自身の幸福を追い求める姿をありありと描かれている。

 これは逆説的な見方かもしれないが選挙の必要性を否定していると見ることもできる内容だ。それはあくまでも僕の感想だが、ぜひ読んでもらいたいnoteでもある。

 芸人から時事YouTuberへと転身(?)を図った、たかまつななさんは若者を選挙に駆り立て、どうにか未来に希望を抱ける日本を政治の立場から作ってもらいたいと願いながら活動している。非常に知的でありながらも精力的に活動しており、挫けぬ姿に勇気をもらっている人もいるだろう。

 上記した僕の人口動態的に、という主張も以下のように述べて否定する。日本全体の投票率が50%ほどだから若者が70%投票に行けば影響力を持てる、という意見は一見すると真っ当な意見だ。

ちなみに、若者が人口が少ないから選挙に行っても勝てないという人がいるが、それは若干のミスリードだ。

なぜなら、日本の投票率は50%ぐらい。若者は30%ぐらい。今の現状で、若者の投票率だけ、70%とかまであがったら、影響力をもてる。他の世代も一緒にあがったら、たしかに、若者の影響力は少ない。なので、このような若者世代の声を通りやすくするために、若者政治に関心があることをアピールするために、存在感を示すために選挙にいってほしい。

人口が少なく、投票率が低いからこそ、選挙にいってほしい。

橋下徹さんと話して残念だったこと【若者の投票率は低くてもいいという文化は作らないで下さい】
https://note.com/takamatsunana/n/n5ae9f9817d5d

 しかし、「70%を超えれば…」というのは"たられば"だ。

 事実をみてみると、若者が影響力があったであろう1980年に人口動態的にも30代や20代が多く、74.57%と全体の投票率が高かった年にも20代の投票率は63.13%である。彼女の中で若者が何歳なのかはわからないが、仮に20歳だとしたら直近の50年で20歳代の投票率が70%を超えたことはなかった。そして、今後もないだろう。

 もちろん、これもたらればであることは理解している。

国立社会保障・人口問題研究所(1980年人口動態)
https://www.ipss.go.jp/site-ad/TopPageData/1980.png
衆議院議員総選挙投票率の推移(中選挙区・小選挙区)


http://www.akaruisenkyo.or.jp/070various/071syugi/
衆議院議員総選挙年代別投票率の推移


http://www.akaruisenkyo.or.jp/070various/071syugi/693/

 日本の人口が5000万人ほどになれば別だろうが、若者は政治参加以外にも社会参加できる術を経済に、資本主義社会や自らの属するコミュニティに見出しているからこそ、政治に関心も持たないし期待もしないのだ。

▷ 個人で幸福を求める他にない

 これまでの歴史を振り返ってみて若者の投票率が今よりも高く影響力があった時代にも若者向けの政策に重きが置かれることもなかったことを見てきた。

少子高齢社会となり影響力が少なくなってきた時代を迎えたとしても人口を増やす方向へ政治が向くことはなかったことを踏まえると(細々としたことは取り組んできただろうが抜本的な成果にはつながっていない)、日本は行くところまで行かなければ若者が得をするような社会に日本はなり得ないのだ。

 では、このまま座して死を待つばかりなのか。

日本語というあまりにもガラパゴスでドメスティックな言語だけを扱う市場で生き残ろうとするならばそうだろう。むしろ、日本政府を心中する他に生きる術がない。

 「それではあまりにも希望がない」と怒られるかもしれないが、そもそも初めから希望などない。希望を抱くことすら失礼なほど、若い人たちにとって日本という国は絶望の星なのである。

 それでも…と踏ん張る人たちがいることは知っているし応援したいが、時間の問題で日本以外の国に出ていくことを選ぶのではないか。

 日本で成功を目指すよりも市場規模の大きい英語圏や欧州圏など言語の違いを超えられるサービスや製品を開発することで、その成功規模は圧倒的に大きくなる。それを実現できる可能性を秘めているのであれば、日本にしがみつく理由は無くなってしまうのだから必然的とも言える。

 法人だろうが個人だろうが関係ない。特に個人での幸福を求める以上は、政治をはじめとした国に期待などしていられない。

そんな暇は若者にはなく、自らの食い扶持を承認欲求と共に経済活動を伴わせながら得ていかなければならない。

高額所得者だろうが低額所得者だろうが関係なく、所得は等しく低下している。そんな時代では「何をもって幸福なのか」を杓子定規的な枠で考えるのではなく、個人で幸福を追い求める方がよほど健全だといえる。

社会実情データ実録『図録 家計調査による所得格差の推移』
http://honkawa2.sakura.ne.jp/4663.html

だから僕は自分と暮らす子どもたちに「選挙に行けば社会がよくなる」とはいわないし「政治に期待しろ」ともいわない。その代わり「君の考える幸福を優先しな」というし、「それが日本にあるならそうすればいい」としかいえない。

 無責任だと罵られるかもしれないが、ウソをついてまで選挙に行けという方が無責任だ。そんな大人でいたくない。せめて彼らには誠実でいたのだ。

 ではでは。

えんどう

▶︎ おまけ

▷ 関連する紹介したいnote

 武士道を引き合いに出しつつ、日本社会に絶望したくないとする意見には概ね賛成なのです。僕も日本には絶望したくないのだけど、絶望的な状況を受け入れなければ子どもたちがかわいそうなのですよね、なんて。

 下手に日本の政治選挙に興じるよりも、こうやってゲームの選挙などにうつつを抜かしていた方が有意義だと感じるほどに腐っている人間なのだ。しかし、だからこそ日本のコンテンツには可能性があるのだと実感できる。

 多様性ってのは本当に難しいものだと思ってます。たとえば、ジェンダー平等を訴える人を否定する人までも包括しなければならないのが多様性なのですから。多様性を否定するとは許せん!なんていえないわけです。


▷ 著者のTwitterアカウント紹介

僕の主な生息SNSはTwitterで、日々、意識ひくい系の投稿を繰り返している。気になる人はぜひ以下から覗いてみて欲しい。何ならフォローしてくれると毎日書いているnoteの更新情報をお届けする。

▷ 関連書籍の紹介

 若い有権者向けに政治についてわかりやすく解説してくれる本である。まぁ、僕自身が政治の専門家でもないのだが、せめて子どもと話す際には最低限のリテラシーを持った上で話したいと思い読んだ本。といっても、我が家の子どもが選挙権を持つまでには10年以上あるのだけど。

 僕の地元である新潟といえば田中角栄だが、いまいち何がスゴいのかわからずにいた。しかし、これを読むことによって理解した。んごい。のだ。


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