「弱者男性」と「頂き女子」から考える「おじさん」を叩いてる人たちのこと
どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。
サブカル界…いや、オタク界のレジェンドである岡田斗司夫さんの主宰する『岡田斗司夫ゼミ』は本当に芯を食った内容であることが前提なのですが、内容の重厚感といったらイオンスーパーでタスマニアビーフのランプ肉を大量に買い込み、BBQコンロで焼きまくるようなもの。
以下の動画に関する内容は『弱者男性と頂き女子』に関するメタ的な考察なのですが、これね、フェミニズムを標榜する人とか、ちょっと年齢を重ねてきたおじさんとかおばさんは視聴した方がいいですよ。なんならプレミアム会員にまでなって続きを視聴したいと思える人も出てくるんじゃないでしょうかね。
今回のnoteは、この岡田斗司夫ゼミで扱われた『弱者男性と頂き女子』の話題について無料版の部分を紹介しつつ、「おじさんキモい」と叩きまくっている人たちの将来を憂うものにしていこうと思います。
岡田斗司夫ゼミ『弱者男性と頂き女子』部分の紹介
上の動画でのラインナップを紹介すると冒頭のグッズに関する部分を除けば以下のようなものとなっています。
頂き女子の活動とその影響
弱者男性とその社会的立場
色恋営業とストーカー問題
年齢差婚への社会的偏見
まず、ご存知ない方のために説明が必要だと思うのですが、「頂き女子」とは、SNSなどでパパ活を行い、男性から金銭を巻き上げる女性たちのことで、最近、「頂き女子りりちゃん」こと渡辺容疑者がネット上でマニュアルを販売し、話題となっています。
誤解を恐れずに書きましたが、彼女たちは特別美人でもなく普通の女性でも、マニュアルに従いデジタルツールを駆使することで大きな収益を上げることができるといった会社運営における見本みたいな行動をとっており、中身もどうやら秀逸だった様子。
具体的には「お金に困っている」と直接的に言わず、「相手に出そうとする意思を引き出すこと」に注力している点など、明らかに賢い人が再現性を高めるために全力を注いだと思われるものとされています。
こうした、いわゆるパパ活などをはじめとする活動は、一部で詐欺と見なされることもありますが、マッチングアプリの普及に伴って出会いの機会が急速に増産されているため、広まりやすくなっている事実があります。
次のキーワードとして登場する「弱者男性」とは、恋愛市場や社会的に弱い立場にある男性を指し、頂き女子によるターゲットにもなっている男性のことを指します。
彼らはしばしば、差別や偏見の対象となり、SNSなどで叩かれることが多いのですが、この現象は、社会全体で一部の男性を差別しても許される風潮があることを示しており、非常に危惧されるべき点だと言えます。
「電車で隣におっさん座ってきたんだけど。キモい」とか投稿している人たちが固有名称として「おじさん」とか「おっさん」と呼称するわけですが、「隣に座ってきた人がいるんだけど」でダメなのでしょうか。きっとダメなのです。
その投稿主は同じように共感してくれる人に向けて投稿しなければならないから、その攻撃対象となる「おじさん」にではなく、その投稿を見て共感してくれる人に向けて届けるためには「おじさん」とか「おっさん」といったキーワードが必要不可欠となっています。
そこから発展し、色恋営業とストーカー問題に触れています。
色恋営業とは、キャバクラやガールズバーで女性が男性客に恋愛感情を装い営業する手法のことですが、これが行き過ぎるとストーカー問題に発展することがあります。
近年、色恋営業で大きな金額を失った男性がストーカー化し、刃物での殺人事件を起こすケースがありましたが、こうした事件の背景には、パパ活やマッチングアプリの普及により、従来のキャバクラ産業が打撃を受けたことが影響しています。
どういうことかっていうと、お金に余裕のある人たちの遊びではなく、そうではない人たちから全力で金をむせび取ろうとする状態となってしまっており、結果として、「ここまで使ったんだから」と対価を求められる構図が出来上がってしまい、悲しい事件にまで発展するわけです。
さらにさらに、高橋一生と飯豊まりえが年齢差のある結婚をしたことから年齢差婚への社会的偏見についてでまとめていきます。
年齢差の大きい結婚、特に男性が女性よりかなり年上の場合、しばしばロリコンと呼ばれ、社会的に嫌悪されることが増えていますが、これは、近年のカップルが同世代であることが一般的となり、年の差婚が減少している背景があるとしながら、この男性側が年齢が上で少し離れていると「ロリコンである」とする偏見だろうと。
そもそもロリコンが幼い女子ではなく、若い女性にまで引き上げられている事実に驚愕しますが、こんなところで幕を閉じています。なんだか下手くそなまとめ方になってしまい恐縮です。
おじさんはいくら叩いても平気なのか
で。
次からが本題。
「おじさんキモい」とか「おっさんくさい」みたいにして、おじさんだからといって差別したり、見下したりすることは許されるものなのかというと、断じて許容されるべきではないでしょう。
確かに、駅の中で汗をかいて香ばしいにおいを発している人はいますけど、それが嫌なら離れればいいし、それをわざわざ「おじさん」と男性だと断定できるような書き方で揶揄することは是正されるべきでしょう。
そうやって一部の自らが高貴な存在であると誤解をしている人たちの間では、おじさんをバカにしたり、嘲笑の対象にしたりすることが許容されているのかもしれませんが、少なくとも、それは明らかな差別であり、ダブルスタンダードだと言えます。
もし仮に、その対象となっているおじさん側が女性を差別したり、攻撃したりすることがあった場合、許されるのかというと許されないでしょう。それは上で攻撃していた人たちが相手だからダメなのではなく、社会的に許容されるべきことではないからです。
つまり、自分は相手を嘲笑していいけれど、自分がされてはダメだなんて姿勢や態度はダブルスタンダードなもので、それ自体が矛盾したものなのですし、由々しき事態だと言えます。
性別や年齢、その他のあらゆる属性による差別や偏見をもつべきではありませんし、仮に抱くような事態に陥ってしまったのであれば、個人としてそこから逃れる努力をすべきでしょう。それもせずに被害に遭っている自分と一緒に嘲笑してくれる存在を求めてSNSなどに投稿することは何の解決にもなりません。
「おじさんだから」といった安易なレッテル貼りをする人たちは、相手の立場に立って考える想像力が欠如していると言わざるを得ません。
どんな属性の人であれ、個人の尊厳を傷つけるような言動は慎まなければならず、それが社会生活を営む人が持つべき素養です。
差別発言は掘り返されて自らを攻撃する矛となる
さらに話を進めるとするならば、上記のような「おじさんだから」といった理由で差別発言をしている人は、いつか自分もその矛先を向けられる可能性があることを肝に銘じるべきです。
大きな話になりますが、歴史を振り返れば、ある属性を理由に特定の集団を差別していた人々が、後に同じロジックで自分たちも攻撃されるという皮肉な状況に陥った例は枚挙に暇がありません。
たとえば、ナチス・ドイツは、ユダヤ人などの特定の民族を差別・迫害しましたが、連合国から見れば、ドイツ人全体が敵性民族として扱われる対象となり、戦争でボコボコにやられたのは歴史の教科書に書いてある史実です。
これは個人にも当てはまる事例であり、ここから学べることといえば、差別のロジックは、誰にでも向けられ得る諸刃の剣だってことですよ。
また、「おじさん」を差別することが許容されるような風潮は、いずれ「おばさん」差別にも転化しかねません。あるいは、若者が高齢者を差別するところにまで問題が波及するかもしれません。
差別の論理は、いったん容認されてしまうと際限なく拡大していくもので、誰かを差別することで自らが得をしているつもりでも、巡り巡ってその矛先が自分に向かう可能性は十分にあるのです。
だから、差別発言をする人は、自分もいつ被差別者の立場に立たされるか分からないことを自覚すべきだし、そのぐらいは考えられるようにしなければいけません。
「今日の加害者は明日の被害者になり得る」というのは、差別の構造を考える上でとても重要な教訓であり、誰にでも起こりうるものなのだし、何より、誰か特定の誰かを差別することで安全を得られるわけではありまん。
おわりに
いま、「おじさん」を差別的に叩いている人たちは、将来、自分が叩かれた際には文句を言ってはいけませんからね。
ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)
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