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就職偏差値が出される今、それほど就職が大事なのか。

どうも、ゑんどうです。

就職偏差値ってのが出されていること、ご存知ですか。

大学受験書籍などの出版を手がける、株式会社大学通信が出しているもので、就職に強い大学を可視化しようとする試みのようです。朝日新聞EduAに2012年との比較記事が出されていましたので興味がある方は以下のリンクからサイト訪問のうえでご覧ください。

“「就職偏差値が上がった大学2022」ランキング規模別上位67校 慶應や東大を抑えてのトップは”

ぼくとしては大した学歴もないマンなので偏屈な見方になってしまう可能性はあるものの、以下の書籍を手元に置いておくだけでいい気がしますし、この書籍は膨大な取材によって導き出された壮大な”仮説”ですから、ぜひ検証していきたいと思えるような大作だと思える書籍です。オススメ。

「いい会社」はどこにある?──自分だけの「最高の職場」が見つかる9つの視点

就職偏差値って指標を出されるようになってしまった大学の存在意義と、就職って単語の忌み嫌われ感から重要性について考えてみようと思います。

■ 学び舎の存在意義は”追求”のキッカケ

ぼくは大学が就職予備校として扱われるようになることに反対です。

よって、大学が就職率を掲げて学生や保護者に自らの価値を訴求しようとする姿勢にも懐疑的に見るような人間だと思ってください。さらにいえば、学府たる門どころが就職率といった数値指標を体外的に露出することに向けた嫌悪感があるとすら。

大学をはじめとした学び舎には、追求のキッカケや支援を存分にできる場所として機能しつづけてもらいたいのです。

学歴によって生涯年収が異なるため大学を卒業しなければ手にできる身銭が減るのを避けるために大学に行く必要がある。よって、大学へ行くことは少しでも好条件で就職できるようにするためである、と考えている家庭もあるでしょう。

それでも、きれいごとであることは重々承知のうえではありますが大学には知的好奇心と探究心を存分に発揮しつづけられる場所であってほしいし、他の学び舎に対しても同様の期待を抱いているのが正直な気持ちです。

大学をはじめとした学び舎が就職率にこだわることは、そもそも運営を維持するためにあるとも言えるでしょう。学生が入ってきてくれなければ学府を維持することすらできなくなります。背に腹は変えられない、といったところでしょう。

だからといって、就職にこだわるばかりでいいのか。学生を企業の意思に沿うようハックさせることに終始するような支援を施すことが本義な学びだと言えるのか。

■ 就職が嫌われる要因

多くの学生たちは就職活動なるものが好きではないでしょう。

これにはいくつかの理由があるはずで、簡単に考えられるだけで以下があるでしょう。

一つは、就職の合否を自分で制御できないことへの不満と不安。
一つ、合否判断によって自分を否定されたような心持ちになること。
一つ、自己内省をすることの気恥ずかしさと忌避感

大学を選ぶにあたって、学生たちは自身の学業成績によって進学できる場所を判断してきたはずで、その合否判断は自分になかったはずですから、就職における合否判断が制御できないことも承知のうえだといえるかもしれません。

しかし、就職と進学との間には自己内省によって自身のパーソナリティを明らかにしなければならないような過程が差し込んでくるため、それに向けた気恥ずかしさを含めた忌避感があることも理由に入ってくるでしょう。

何より、それらの苦労を伴った過程を経たのにも関わらず、メールによって”お祈り”をされることへの失望感を味わいたくない恐怖感から、就職活動が全般的に嫌われてしまう、もしくは苦手意識を持ってしまう要因なのではないかと考えています。

■ “就職”の重要性

就職は、新卒や転職者が仕事に就くことで生活を安定させることができますし、さらにその質を向上させることも叶いやすくなります。また、就職し実務を担当することでスキルを磨き、人的資本を高めることも将来のキャリアアップを目指すうえでは重要です。

何より、身銭を取得することによって貯蓄をすることができるため、経済的に安心を得ることにもつながるでしょう。

職を得るとは、自身の生活と質を安定させたり向上させるうえで必要な身銭を稼ぐといった意味では非常に重要な役割を担っています。しかし、ベーシックインカムのように生きているだけで生活できるような状態になった時、人は働くのでしょうか。

諸外国では検証していることを知っているのですが、今、ここに引っ張ってくることを面倒に思ってしまっているので引用しません(自分で調べてください!すいません!)が、仮にそうなったとして、就職偏差値とやらが意義のあるものになるのかといったら疑問です。

否定しているのではなく、フラットに考えて就職を偏差値かすることの意義が見えないのです。

おわりに

最終的に就職偏差値を否定するような物言いになってしまったものの、全然否定するつもりはありません。ただ、パッと見ただけではあるものの、そうやって評価されることに意義があるように思えないといった感想を抱いてしまったのです。

だったら、冒頭でも紹介している書籍を手に取り、著者の立てている仮説を検証するよう行動することこそが大学まで進学した人たちの責務なのではないか。そう思った次第です。

だって卒論を書くんでしょ。仮説と検証ぐらい、やるようになろうよ。
ではでは。

ゑんどう(@ryosuke_endo


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