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大人ぶってる自分

子どもとの生活の中で気づいた

割と感情的になってしまうこともあれば、冷静に諭そうと話をすることもあるし、空想上の怪物を引き合いに出しながら脅しをかけてしまうこともあれば、暗い部屋に入るときには大丈夫だと手を握ったりもする。

子どもと生活をする、というのは喜ばしいことや楽しいことばかりではない。そんなことは、実際に生活をした経験がある人ならば容易に想像ができると思うことも、日々の実感がなければ得難いものだ。

その多くの実感の中で、養育者という立場に立って初めて自分が「大人ぶってる」ことに気づいた。

年齢をいくら重ねても、どんな生活環境になろうと、何を仕事としていようと、ぼくは僕であることに変わりはないのにも関わらず、子どもたちに対して「大人ぶっている」ことがある。

ちょっと感情的になっている長男を近くに呼び寄せて「いいかい...」なんてやってる自分を改めて振り返ってみた上で、客観的に観察してみると「なんだ、こいつ偉そうに!」なんて気持ちと、こ恥ずかしさが込み上げてくる。

別に改めて気にすることではないのかもしれないけど、そんな新しい一面に気づく機会を提供してくれているのだと思ったら、彼らとの生活がますます楽しみになってきた。

「楽しみになってきた」と未来形で書いているのは、またこれからも、自分のよくわかってない一面を取り出してくれるのかもしれないという希望的な観測をしているからに他ならない。

以前にも書いたが、彼らとの時間は思い切り限られた短時間的な享楽だ。いってしまえば、ぼくのイメージは竜宮城に近い。

人生が100年だとか120年だと言われている中(ぼくが勝手にいっているのではなく、国が公表してます)で、彼らがこちら側と親密な時間を設けてくれるボーナスタイムは15年とかその程度だ。

100年生きるとしたら、その15%ということになる。そこでふと考える。これが人生30年だとか40年だった場合、何年になるんだろう。40年だった場合、同じ割合で考えると6年だ。もっと短い。

だけど、もし、自分だけでなく、自分の住む村があったとして、その村での寿命はだいたい30〜40歳だったとしたら6年とは言わずとも、彼らは離れるようになっていくのだろうな。

そう考えると、15年という期間はあくまでも希望的な意味の含まれる時間だけど、短くはないのかもしれない。

...いや、短い。そもそも尺度が変わったところで割合は関係ないじゃないか。あくまでも短いか短くないかは主観の問題だ。というわけで、意見は買えない。あっという間だ。

「ころす」という言葉

先日、長男が保育園でクラスメイトとイザコザというか、なんというか...。ちょっとしたことがあり、その相手から「ころす」と言われたそうで、担任の保育士が「お話ししたいことがあります」と、迎えに来たぼくに経緯を説明してくれた。

決して褒められた言葉ではないが、その相手の子も割と感情的な起伏が激しい子だということも踏まえた上で聞いていることもあるし、直接的に命に関わるようなコトをされたというわけでもないから「保育士も大変だよな」なんて気持ちで聞いていた。

その言葉をかけられた長男については「ひどくショックを受けた様子だったし、私の仰天の発言だったので面をくらってしまいました...。」と説明を受けたが、迎えに来たぼくを見た長男は笑顔で手を振りながら近づいてくる。

そのコントラストに妙な気持ちにもなったが、ひとまずは彼に話を聞いてみようと家の中で諸々終えた時間帯に話しかけてみた。

すると、彼は悲しかったんだ、と説明してきて、何が悲しかったのかと聞けば、ぼくと妻に会えなくなるのが悲しかったんだ、と。

あぁ、すごいな。

彼は5歳になるのだけれど、「殺される」⇒「死んでしまう」⇒「会いたいと思える人に会えなくなる」というのを学んでいるんだな、と。

彼は虫や動物が大好きで、この夏もカブトムシやカマキリを虫かごに入れてはニコニコと走り回っていたし、暇があればダンゴムシを地面の隙間からほじくり出そうとする。

もちろん、うまくいくこともあればうまくいかないこともあるけれど、虫たちが死んでしまうことも経験しているし、Amazonプライム・ビデオでplane tearthをみて、恐竜や動物たちの生死を目にしていることもある。

彼の中では「死ぬ」という概念がきちんと芽生えており、そのことに対して率直に思うことを吐露できるようになっているんだな、と思うと感慨深いものがあった。

僕たち両親に会えなくなる、という点を言ってくれたことが嬉しいというよりも、そうやって楽しむ中でも学ぶことができているんだな、という点に感激した。

夢中や熱中する中で、うまくいかなくて折れてしまいそうになることもあるけれど、そこからの学びを次にどう生かすのか、そこから何を学び、どう感じているのかを大切にしなきゃいけないな、と。

こうやって考えること自体が「大人ぶってる」のかもしれないけど、彼らとの時間は僕に「大人ぶる時間」を提供してくれるボーナスタイムでもあるのだと気づいた。

偉ぶることなく、高ぶりすぎることもなく、ただ向き合い、共有し、感じあう。なりたい大人ってのはいまだによくわからないし、親バカだなんて言い方をされても仕方ないのかもしれないけど、それでいいし、それがいいのだと思う。


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