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トラウデン直美「おじさんの詰め合わせ」発言の波紋について考える

どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。

最近のネット空間ってのは、意味のわからない炎上が増えてきたような気がします。いや、何年前からだと問われても応えることなんてできませんけどね。

タレントのトラウデン直美さんがTBS系列の『news23』内で自民党総裁選のポスターについて「おじさんの詰め合わせ」と評したことが、SNS上で議論というか炎上騒ぎだそうで。

誰が燃やしてるのか、燃焼させ続けるってことに誰かの肥やしになっているのでしょうが、それで懐があったかくなったとしても、少なくともぼくはおいしいご飯は食べれそうにありません。

こうやって、ぼくがネタとして書いていることも、燃焼に影響を及ぼすのかもしれませんが、ぼくにそのような力はありませんし、この記事が理由で誰かが傷つくような内容にするつもりもありませんので、趣味の思考実験として書いていこうと思います。

お付き合いいただける方、くだらない話になろうかと思いますが、ありがとうございます。

「おじさんの詰め合わせ」発言の文脈、意図、そして反響

さて、この「おじさんの詰め合わせ」発言、一体どんな文脈で飛び出したのか、まずはその背景から紐解いてみることにします。

トラウデンさんは自民党の総裁選ポスターを見て、キャスターを務めている藤森祥平アナウンサーから「女性の姿がありませんけど、いかがですか?」と質問を受けたことに対して答える形でこう切り出しました。

おじさんの詰め合わせって、感じがするんですけど…苦笑
長い間、日本の政治の中心にいる自民党なので、いい時代も悪い時代もいろんな時代があると思うんですけど。なんて言うんでしょうね。ここに写っているみなさんは、党内の権力抗争に勝ち抜いてきた人たち…っていうことではあるじゃないですか?党内での権力とかではなくて、いかに国民に向き合ってオープンにしてくれるのかっていうのが、やっぱり気になるところだと思うので。こういう、なんか内向きなポスターだな。

この発言を上記のような質問への回答として文脈も全文も読んでみると、単なる悪口じゃなく、政治の現状に対する率直な感想のような気しかしません。

正直、これがなぜこんなに物議を醸すのか、理解が追いつきません。難癖でしょうよ。

まず、表面的には「おじさん」という言葉を使ったことで、年齢と性別による一般化をした、なんというか愚かなる文章の読み方をしているようにしか見えないんですよね。

そうやって穿った見方・受け取り方ををする一部の人々には差別的に映ったんでしょうね。

でも、でもね。こういう誰かの発言を受け取るのであれば、やっぱり掘り下げてみないとダメでしょう。脊髄反射ばかりだと議論だとか意見交換なんてできませんよ。

トラウデンさんの発言には、日本の政治における多様性の欠如への指摘が含まれているのであって、「おじさんの詰め合わせ」って表現、確かに刺激的ではありますが、これって結局のところ、政界における女性や若者の少なさを端的に表現した"だけ"です。

さらに、「党内の権力抗争に勝ち抜いてきた人たち」という表現。

ここまで読んでしまえば、単なる悪口じゃないことぐらいわかりそうなものです。あくまでも現在の政治構造への批判的な視点を含んでいるのであって、つまり、政治家になるためには党内の権力争いに勝たなければならない、そんな政治構造への疑問を投げかけているわけです。

で、この発言の後に続く「いかに国民に向き合ってオープンにしてくれるのか」という言葉がありますが、これは政治家と国民の距離感について言及しているんです。

つまり、トラウデンさんの発言は、単なる皮肉や批判ではなく、政治のあり方そのものに対する問題提起だったと解釈できるでしょ。

逆に、そこまで理解できず、単なる悪口だと受け取る人たちって、いったいどうやって社会生活を送ってるんですか…。

じゃー、なぜこの発言がこれほどまでに炎上したのか。

Twitter(ぼくは頑なにTwitterと表現します)って即時性の高いメディアの特性と、現代社会の分断傾向が絡み合った結果なんでしょうね。

文脈を無視して一部の言葉だけが切り取られ、拡散されやすい。そして、それぞれの立場や価値観によって、同じ言葉でも全く異なる解釈がなされる。

結果、建設的な議論よりも感情的な反応が先行し、本来の意図や背景が置き去りにされてしまう。

これが、今回の炎上の本質なんでしょうね。

差別か批判か

さて、ここで考えたいのが、トラウデンさんの発言は本当に差別的だったのか、それとも正当な批判だったのか、という問題です。

まず、「差別」の定義から考えてみましょう。

一般的に、差別とは特定の属性(性別、年齢、人種など)を理由に、個人や集団を不当に扱うことを指します。この定義に照らし合わせると、たしかにトラウデンさんの発言は微妙なラインかもしれません。

たしかに、「おじさん」という言葉を使うことで、年齢と性別による一般化をしているように見えますし、差別だと感じる人がいても不思議ではありません。それは認めます。

だけど。

ここで重要なのは、文脈と意図です。

トラウデンさんの発言の真意は、政治の多様性の欠如を指摘することにあったことは文脈を読めば十分に理解できるはずで、それを見もせずにただただ批判するってのは、あまりにも幼すぎるでしょ。

で、文脈をきちんと理解したのなら、トラウデンさんの発言は「差別」というよりも「批判」に近いと言えます。批判は、社会や組織の改善を目指すものであり、民主主義社会において重要な役割を果たすものです

もちろん、表現の方法はよくなかったのでしょうよ。

「おじさんの詰め合わせ」という表現はインパクトがあり、問題提起としての効果は高かったのでしょうね。誤解や反発を招きやすい表現でもありますから炎上してるって話なのも理解はできます。

ぼくみたいな無能の地方在住者とは違い、トラウデンさんのような著名人の発言は、大きな影響力を持ちますが、意味のわからない否定をするばかりでは、何も言えなくなってしまうでしょ。

つまり、建設的な議論の機会を失うことになります。

そんな社会、生きづらすぎるでしょ。

ネット炎上の構造

次に、今回のような炎上騒動が起こる背景にある、現代社会の構造的な問題について考えてみます。

まず、TwitterをはじめとしたSNSの普及により、誰もが簡単に意見を発信し、拡散できるようになりました。これは、多様な声を聞ける素晴らしい機会であって、それを否定するつもりはありません。

一方で、誤解や偏見も急速に広がりやすい環境を作り出しています。

トラウデンさんの発言も、本来の文脈から切り離され、一部だけが切り取られて拡散されました。そして、それぞれの立場や価値観によって、全く異なる解釈がなされたわけです。

これは、現代社会における「エコーチェンバー」や「フィルターバブル」の問題とも関連していて、人々は往々に自分の価値観に合う情報ばかりを選択的に摂取し、それ以外の意見を排除しがち。

結果、社会の分断が進み、建設的な対話が困難になっているってのは悲しいですよね。

同時に、炎上そのものが「コンテンツ」として消費される傾向もありますが、誰かの失言や炎上を楽しむような風潮が、建設的な議論を阻害してませんか。

結局はメディアリテラシーの問題です。

情報の真偽を見極め、批判的に考える力が十分に育っていないために、感情的な反応が先行してしまうケースも多いってことは、そういう使い方しかできない人は何でもかんでもメディアに触れるべきなのかどうかは考えなきゃいけないでしょ。

おわりに

ここまで、トラウデンさんの発言をきっかけに、表現の自由と社会的責任、差別と批判の境界線、そして現代社会が抱える構造的な問題について考えてきました。

正直、簡単に答えの出せる問題ではありませんが、こうやって考えを巡らせてみると、単なる炎上騒ぎの裏に、実はいろんな社会問題が隠れてるんでしょうね。

みなさんも、たまにはこんな風に「おじさん」の戯言に付き合って、一緒に頭の体操をしてみるのも悪くないかもしれませんよ。社会の在り方について、真剣に、でも肩の力を抜いて考える。そんな習慣が、少しずつでも広がっていけばいいなって思います。

ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)


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