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愛媛のしっぽで暮らす。みかんアルバイター体験記 1

2021年11月~12月、愛媛県西端の伊方町でみかんアルバイターとして暮らした1ヵ月半の記録。

伊方町でシェアハウス生活スタート

愛媛県の形は「プーマのロゴに似ている」といわれている。
プーマのしっぽにあたる佐田岬半島は四国の最西端に位置し、日本一細長い半島として知られる。
しっぽの付け根にあたる八幡浜市やしっぽの部分である伊方町は、日本でも有数のみかんの産地。
収穫が集中する11・12月には全国から300人を超えるみかんアルバイターが集まる。

八幡浜市と伊方町に初めて来たのは、ちょうど1年前。海洋プラスチックゴミ拾いのイベントに参加するため、3日間の滞在だった。
その時は、1年後にみかんアルバイターとして再訪するなんて、思ってもいなかった。

農業求人サイトで見つけた今回の仕事先は、プーマのしっぽのちょうど真ん中あたり。伊方町の浜辺の集落のみかん農家さんだった。
この地区でのアルバイター受け入れは初めてのこと。これまでは家族や親せき、地域内の人の手だけで収穫していたが、高齢化に伴う今後の労働力確保のため、今年度からアルバイターの受け入れを始めたそうだ。

初めての求人に応じたのは、京都から来た私と埼玉から来た学生さんの二人。二人ともみかん収穫の仕事は初めて。
明日から10軒の農家さんを2日間ずつお手伝いすることになっている。

私たちが暮らすのは、農家さんのお母様が103歳まで住んでおられた空き家をリフォームした昭和な感じの一軒家。キッチン用品から日用品まで揃えていただいており、至れり尽くせりの準備に感謝しかない。

午前中は打ち合わせの後、集落の近くを車で案内していただいた。
真っ青な空に十数台の風車の白い羽根が風を受けて回る様は圧巻!
佐田岬半島は北の瀬戸内海と南の宇和海を隔てているため、瀬戸風の丘パークでは2つの海を一度に楽しめ、テンション上がりっぱなし。

戦時中、真珠湾に地形が似ていることから極秘の訓練地だったという三机(みつくえ)湾には、ハワイで戦死した9人の兵士の慰霊碑があった。美しい湾からは想像もできない悲しい歴史が今に伝わる。

夕方からは10軒の農家さんの紹介を兼ねて、私たちみかんアルバイターの歓迎会を開いてくださった。近くの公民館に農家さんの奥様たちが昼過ぎから集まって、食べきれないほどのご馳走を手作り。農家さんのご家族も集まって30数人の楽しい宴だった。いやいや、ほんまに皆さん明るくて、元気。こんなにしてもらって、明日から頑張らなきゃ!と気持ちも新たにシェアハウスに帰った。

初めてのみかん収穫

仕事初日の午前中はみかん山で早生みかんの収穫。
私は大玉トマトの収穫経験があるので、使うハサミの形も似ているし、収穫作業にはすぐに慣れた。
ただ、色の見分けが難しい。
早生みかんは9割色づいたものだけを収穫するのだが、きれいに色づいていると思って取ると裏側が青かったり、陽の当たり具合で違って見えたり、目が慣れるまでは時間がかかる。

トマトなら青めの実を収穫しても追熟して赤くなるが、早生みかんは収穫後に色がつかないそうで、青い部分があると選果ではねられる。
さらに、みかん山は地面が平らではなく傾斜があるので、実ばかりに気を取られていると滑って危ない。
時々、目の前に広がる穏やかな海を眺め、深呼吸。こんな所で1日仕事できるなんて、本当に幸せだ。

午後からは、清見の袋がけ。清見を収穫するのは3月ごろで、それまで鳥に実を突かれないようにするため。冬の寒波対策も兼ねているそうだ。
白い袋のように見えるそれは、実は伸縮性のある布。ぐっと広げて果実一つひとつに被せていく。
寒暖差や雨のため、外皮がパカッと割れて果実が見えているものがある。そんな実のことを農家さんは「パックマン」と呼んでいる。パックマンは収穫しないので袋がけせず、そのままにしておく。割れた部分が口のようで、ニヒヒヒ…と笑っている顔に見えるのが面白い。


農家さんの携帯が鳴る。
朝から友人と海釣りに出かけていた弟さんから「超大物をゲット!」との知らせが。大きな魚を悪戦苦闘して釣り上げるようすをスマホの画面で見ながら、山にいるみんなは大喜び。
体長138cmの超ビッグな魚は、オオニベというこの辺りではよく釣れる白身の魚だそう。
夜には釣れたてのオオニベや鯛などを使った魚づくしの晩ごはんにご招待いただいた。
昨晩の歓迎会に続き、2日連続お腹いっぱい。
あぁ、海って豊かだなぁ。

豊かな食卓

伊方町へ来て1週間が経った。
シェアハウスの裏山には風車が並び、みかん山から見下ろす海はいつも穏やか。
仕事は毎日7時半から16時半まで。お手伝いする農家さんは2日ごとに変わる。


今日お手伝いした農家さんの奥さんが夕方、「たくさんもらったから」と釣りたての鯵を10匹くださった。刺身で食べられるらしい。
そのあと別の農家さんが、「親父がさっき釣ってきたけん」と、またまた大きめの鯵を5匹とイカの刺身をお皿にのせて持ってきてくださった。
さっそく大きい鯵はおろしてなめろうに。中ぐらいのはムニエルにしていただいた。
鯵はまだたくさんあるので、残りはフライや南蛮漬にして楽しめそう。

味噌汁の味噌は、また別の農家さんの奥さんの手作りの麦味噌で、これがまた、最高に美味しい!
サラダに使った水菜ももらったものだし、レタスやネギは庭の畑から抜いてくる。

料理は大好きなので、晩ご飯は任せて!と主に私が作らせてもらっている。
シェアメイトの学生さんが「やってみたい」と言うので魚のさばき方を教えてあげた。
学生さんは、「おいし〜い! おいし〜い!」と連発して食べてくれるので、毎日作りがいがある。

後日、鯵をくれた農家さんの奥さんが言った。「あんたらの家の隣に住んでる人が言うとったよ。『アルバイターの居る家から毎晩、おいし~い、おいし~いって聞こえるけど、毎日いったい何を食べとるんか気になる』って」。

倉庫スナック

農家さんから、「倉庫でスナックするけん、一緒にどうや」と誘われた。
ここでいう「スナック」とは、農家さんの倉庫(収穫したみかんを詰めたコンテナを保存したり、選果する場所)で、仕事終わりに一杯やること。
「週に4日はやりよるよ」と奥さんが言っていたのは、これだ。

学生さんと二人でNさんの倉庫へ行くと、Hさん、Mさん、Tさんの3人がスタンバイ。
ここではコンテナをひっくり返したものがイスになり、テーブルになる。
テーブルには、カセットコンロと鍋、ビールの缶が山ほど。
「はいはい、お疲れさん。遠慮せんと飲みいや」
「寒いから湯豆腐にしたで」
「Tさん、飲んでていいんですか?」
3日前に山で足を痛めて収穫を休んでいるはずのTさんに、私が言う。
「えぇがや。これはわしらのガソリンじゃけぇ」

まぁ、それにしても元気なこと。65〜75歳の農家さんたち。
1日山で収穫をし、みかんの入った20kgのコンテナを何度も運ぶ。12月末まで休みなし。
なのに2日に1回は誰かの倉庫でスナックを開店している。

「本物のスナックも、三崎にあるがやで」
「私、スナックって行ったことないんです。行ってみたいな」と学生さんが言うやいなや、「今日はやりよるかなぁ」とMさんがスマホで電話。
「えっ? 今から行くって、全員もう飲んでるじゃないですか?」
そのスナックは、車でしか行けない場所にある。
「ママが迎えに来よるけん、大丈夫」

すぐにママがライトバンで到着。全員乗って本物のスナックへGO。
スナックでまた軽く飲み、カラオケを歌う、歌う。一人4曲ずつぐらい歌ったかな。
次の日も仕事だから早めに切り上げ、またママの車で帰る。
いやぁ、楽しすぎ。皆さん、ほんまに元気で明るい。
50代(私)も20代(学生さん)もそのパワーには勝てません。


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